他力本願 (他力本願 Tariki Hongan)

他力本願(たりきほんがん)には、次の意味がある。

阿弥陀仏の本願。
浄土教・阿弥陀信仰の根本となる考えである。

他人任せ、成り行き任せ。
元来上記の転用である。

現在では上記いずれの意味においても用いられている。
双方の意味とも大辞林・広辞苑などの辞書に掲載される一般的な用法である。
以下にそれぞれの詳細を記載する。

1の意味

力(りき)とは「力用」(りきゆう)のことであり、働きのことを指す。
その意味で他力とは自ら以外の他者の働きのことを言う。
しかし、「他力本願」となると、意味あいはまったく異なる。
親鸞の『顕浄土真実教行証文類』を見てみよう。
「他力というは如来の本願力なり」と書いている。
よって阿弥陀仏の本願の働きであると浄土教側は解釈する。
ここで、本願とは仏自身が立てた「願」であって、その願力によって衆生は浄土へ往生することができる
だから、「他力本願」といわれる。
「他力」とはそのまま「阿弥陀仏の本願の働き」である。
さらに自らの働きもしくは行によっては往生は成就しないということをも意味しているとされる。
この意味で、「他力」の対語は「自力」である。
が、浄土教ことに浄土真宗では「自力」の対語は「他力本願」であり「他力」ではない。

親鸞は、他力本願とは阿弥陀仏の本願の働きであり、その働きは浄土への往生のためだけでなく、今この時にも働き続けていると解釈した。
彼は、浄土への往生を喜ぶだけでなく、将来は往生して浄土で仏となることが確約されている現在を現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)と説明した。
現実に生きていることが、阿弥陀仏の般若から生じた慈悲(本願)の働きによって生かされているとした。

2の意味

主に宗教的意味を伴わない文脈で、「ひと任せ」「他人依存」「成り行き任せ」などの意味で使用される。

キリスト教における三位一体同様、日本語の中で、元々の宗教的概念や意味合いとは異なって使用されることのある用語の一つである。

抗議に至った事例

現在では、双方の意味とも辞書に掲載される一般的な用法であるが、浄土真宗各派から上記2の意味で使った事例に対して抗議が行われることがある。
以下にその事例を挙げる。

1968年には、当時の倉石忠雄農相が日本の軍備に触れ、「今の世界は他力本願では生きていけない」との意味の発言をして浄土真宗各派から抗議されている。

2002年5月、オリンパス光学工業株式会社(現在のオリンパス株式会社)が全国紙に「他力本願から抜け出そう」というコピーで広告を掲載した。
それに対し真宗教団連合が「広告の表現は多くの門徒の心を踏みにじる」と抗議をしている。
オリンパスは抗議を受けた後に配慮が足りなかった点を謝罪している。
(2005年5月28日の朝日新聞による)

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