唯善 (Yuizen)

唯善(ゆいぜん、建長5年(1253年)- 文保元年2月2日 (旧暦)(1317年3月15日))は、鎌倉時代後期の浄土真宗の僧。
父は小野宮禅念。母は親鸞の娘覚信尼。
名は弘雅。
大納言阿闍梨と称される。
下総国関宿西光院(現在の常敬寺)の開山。

初め少将輔時の猶子となり、ついで大納言雅忠の猶子となった。
当初密教を学ぶ一方修験道をあわせて修めた。
その後唯円(河和田の唯円)により他力法門に接して浄土真宗に改宗した。
兄の覚恵に請われて京都大谷に住した。
1303年(嘉元元年)関東における専修念仏が禁止されそうになると、関東にくだりこれを護った。
その後覚恵の子覚如と大谷廟堂の相続について争いがあり、それに敗れて祖像の首を持って相模国鎌倉に下った。

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