かんなぎ (Kannagi)

かんなぎとは、巫・神なぎ(神和ぎ・神薙ぎ・神凪)とも表記し、その場合(かみなぎ・かむなぎ)とも読む。
巫(かんなぎ)は、神の依り代、または神の憑依、または神との交信をする行為を表しす。
その役割を務める人を表しす。
詳しくは巫(ふかんなぎ)を参照。

ここでは巫と重複する部分もあるが、主に「神なぎ」という荒ぶる神(荒魂・あらみたま)を鎮め、神和ぎ(和魂・にぎみたま)にする行為(神事)の意味について記述する

概要

神和ぎと巫
神道のうち主に古神道に関わる言葉であり、神道の神のもつ二面性としての和ぎる神と荒ぶる神と人との関わりによる行為のことである。

そもそも、古神道は原始宗教ともいわれ、自然崇拝・精霊崇拝といわれるアニミズムと祈祷(祈りによる神との交信)や占い(神が憑依による予言や予見)といった価値観や思想がある。
前述においては、神籬(ひもろぎ)や磐座(いわくら)信仰といい自然に存在する森羅万象に神や命が宿るというものである。
現在でも神木や霊峰としての富士山や稲作信仰としての稲妻などを信仰している。

後述は古くは遺跡から発掘される神殿やそこで行われたとされる儀式や、特に卑弥呼が行ったとされる祈祷や占いによる結果を、指針とした執政である。

古くから神社神道につながる祈祷や憑依としての巫(かんなぎ)と、古神道としての自然に対する畏怖や畏敬や感謝としての神和ぎ(かんなぎ)がある。
現在でもある部分では共存し不可分であり、日本の営みとして息づいている。

神和ぎとしての行為

まつり
祭り

いわゆるお祭りであるが、その趣旨は慰霊や感謝や、神へのお目通りや披露や神の住まいのとしての転居などである。
地域住民や氏子が賑やかに和やかに神と共にハレの日を楽しみ、供物として奉げたもの同じように食するといったことは、「神に寄り添う」ことであり、それらによって神は満たされ、和ぎるということである。

奉り

奉りはたてまつるとも読み、神は「上(かみ)」でありまた「守(かみ)」として、「人の寄る辺」となるものである。

それを敬い、畏敬し畏怖することは当然であると考えれれている。
また、そうすることにより神が和ぎるのは、人が尊大になり、自然から手痛いしっぺ返しを受けないための戒めでもある。

祀り

祀りは祈りのことであり、神職による神の依り代としての祈祷だけでなく、庶民が神体や依り代である神社の社や神籬や磐座、塚・祠・道祖神・地蔵や時として豊作をもたらす稲妻や慈雨に対し手を合わせ日々を生を感謝すること。

建立
神和ぎを行うには、対象となる依り代を、必要とし、古くは出雲大社の大神殿(現在はない)や自然そのものの一部を見立てた神籬や磐座である。
神社神道が確立され「社(やしろ)」が建立され日本には神社が数万存在するという。
また、戦乱や戦争で命を落とした者も荒ぶる神とならぬようにと、たくさんの碑や塚が建立された。
それらは刀塚・蒙古塚などとして日本各地に存在する。
また、食べ物として命を落とした生き物なども魚供養碑・鯨塚として同様に日本各地に存在し、神和ぎとしての役目を果たしている。

神和ぎ・神薙ぎ・神凪
なぎの意味と漢字表記や日本神話などから紐解けば、それぞれ意味がある。

神和ぎは森羅万象の神の心の平定をもたらすための「かんなぎ・神事」
神薙ぎは、農地の豊饒・農業の豊穣や山間部における山崩れや風害による災害を避けるための「かんなぎ・神事」
神凪は、漁労の大漁や漁業の安全や海浜部における高潮などの風害による災害を避けるための「かんなぎ・神事」

荒魂・和魂(荒ぶる神・和ぎる神)
神道にある世界観として常世(とこよ)と現世(うつしよ)があり現世は人の住む現実世界であり、常世は神の住む国や神域とされる。
常世には二つの世界からなる。

常世と書き、いわゆる天国であり、不老長寿や富や知恵をもたらす夜のない世界
常夜と書き、いわゆる地獄や死者の国・黄泉の国とされる、禍や厄災をもたらす、夜だけの世界

という二面性を持っている。

このことと共通するように、神は幸をもたらす時と禍をもたらす時がある。
それぞれ荒魂・和魂(荒ぶる神と和ぎる神)と表現され
これらは、日本人の自然観と同一である。
雨も適度なら慈雨となり、過ぎれば水害となることを、神の気まぐれな行いと考えていた。

九十九神
神道は曖昧であり教義教則はなく、神についても森羅万象におよび、その数も数え切れないという意味の八百万の神と評される。
主客やその位の高低はあり、古く生きたものや長く使われたものが尊ばれ、その力が強いとされた。
そして様々な道具や生き物に神が宿り、それを九十九神という。
荒ぶれば俗にいう妖怪となり、禍をもたらし、和ぎれば神として幸をもたらすといわれている。

このことは、長く生きた生き物を自然の象徴として慈しみ、長く使われた道具に対する感謝であり、これらを粗末にすれば、良くないことが起こるという戒めでもある。

[English Translation]