京洛劇場 (Kyoraku Theater)

京洛劇場(きょうらくげきじょう)は、かつて京都市中京区新京極通六角東入ル松ヶ枝町に存在した演芸場。
千土地興行(後の日本ドリーム観光)経営。

歴史
元来は映画館。
京都・新京極の六角通にあった劇場。
1939年4月6日松竹系の京洛映画劇場として開場。
ニュース映画や文化映画などの興行を主体にしながら、アイドホールを用いた擬似テレビジョン公演なども行った。
戦後、邦画の二番館となっていたが、1958年5月1日演芸場に改装。
「寄席の京洛劇場」と銘打ち、開場前には前夜祭が催された。

同時期、新京極には富貴 (寄席)新京極の富貴があり、京都随一の寄席として盛業していた。
しかし、京洛劇場の登場により競合する事態となった。
富貴は新生プロダクション(現在の松竹芸能の母体の一つ)などから芸人を調達していたが、当時売れっ子が多かった千土地興行所属の芸人はすべて京洛劇場に出演した。
この結果番組面で劣った富貴は競争に負け、ストリップ劇場に転向してしまった。

しかし、同年12月1日に千日劇場が開場した翌年の1959年1月28日で演芸興行を打ち切り、翌2月から映画館に再度転向した。
千土地が演芸を千日劇場へ集約したことによるものだった。
鳴り物入りで開業した割には寄席として営業した期間は短期間であった。
その前月半ばには富貴も演芸から撤退しているため、以降京都市内における演芸場は1962年6月の吉本興業による京都花月劇場の復活まで待たなければならない。

京洛劇場は邦画の二番館や東映封切館、洋画封切館、名画座として興行を続けたが、1967年1月一杯で閉鎖。
キャバレー「ナイトサロン花束」に転換された。
しかし、1969年10月から1年間は東映封切館であった京都劇場が改築工事のため一時閉館したことに伴い、その代替劇場として復活していた。
その後再度キャバレー「ミニミニサロン・マンゴー」になったが80年代半ばにに廃業して建物は取り壊された。
第三者の手に渡り駐車場となった後、飲食店をメインにしたテナントビルが建った。

主な出演者
桂米朝 (3代目)
笑福亭松鶴 (6代目)(当時・笑福亭枝鶴)
桂文枝 (5代目)(当時・桂小文枝)
鳳啓助・京唄子 ほか

[English Translation]