八角墳 (Hakkaku-fun Tumulus)

八角墳(はっかくふん)は古墳時代の終末期(7世紀中葉〜)につくられた正八角形の古墳。
京都市の御廟野古墳(現・天智天皇陵)や奈良県高市郡明日香村の野口王墓古墳(現・天武天皇・持統天皇合葬陵)などが有名。

八角墳の意味

八角墳の意味については、広い意味での中国政治思想の八角形が天下八方の支配者にふさわしいという思想の影響が考えられる。

八角墳は森浩一の提唱によると最終末古墳に含まれる。
即位した大王が祭られている可能性を指摘する学者もあるが、奈良県だけではなく東京都多摩市の稲荷塚古墳をはじめ東日本など各地で少数ではあるが確認されていることから即位した大王だけを祭る為に造られている可能性に疑いを持つ学者も多い。

八角墳は、舒明天皇の墓から始まっていると考えられ、ヤマト大王の墓に固有の型式の陵墓が考え出されたと捉えることができる。
それは大王を他の有力豪族からも隔絶した支配者とみなし、中央集権国家の樹立を目指すものであった。

最近の発掘

2006年4月19日、大阪府茨木市の桑原遺跡の桑原古墳群で7世紀の埋没群集墳24基を検出した中の1基が八角墳であり中臣鎌足の墓の可能性を指摘する学者がでてマスコミに取り上げられた。

主な古墳

大王陵
段ノ塚古墳(現・舒明天皇陵):奈良県桜井市
御廟野古墳(現・天智天皇陵):京都市
野口王墓古墳(現・天武天皇・持統天皇合葬陵):奈良県高市郡明日香村・7世紀後半(上八角下方墳)
中尾山古墳(文武天皇陵の可能性高い):奈良県明日香村・8世紀初頭
束明神古墳(草壁皇子の真弓山稜の蓋然性が高く、八角墳の可能性がある。奈良県高市郡高取町)

岩屋山古墳(斉明陵の蓋然性が高い。方形墳のう上に八角形の墳丘を営んでいた可能性が強い。)

首長墓
稲荷塚古墳:東京都多摩市百草・7世紀前半
三津屋古墳:群馬県北群馬郡吉岡町・7世紀前半
経塚古墳:山梨県笛吹市(旧一宮町)・1994年発見・7世紀前半
伊勢塚古墳:群馬県藤岡市・6世紀前半
中山荘園古墳:兵庫県宝塚市
八角墳である可能性が指摘されている古墳
尾市1号墳広島県福山市新市町
神保一本杉古墳群馬県多野郡吉井町

[English Translation]