現存天守 (Genson Tenshu (The Existing Castle Towers))

現存天守(げんそんてんしゅ)とは、日本の城の天守のうち、江戸時代前後から江戸末期にかけての封建時代に建てられたものが、現代まで保存されている天守のことである。
これ以外の天守には、天守復元天守、天守復興天守、天守模擬天守がある。

概要
現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではない。
修復などを繰り返しほぼ創建当時のままを維持してきたもの(姫路城・彦根城)、または、現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの(犬山城・松本城・高知城・丸岡城・松江城など)もある。
さらに、付属する一部の建物を焼失または改築されたもの(宇和島城)がある。
また、明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの(松山城 (備中国)・松山城 (伊予国)・弘前城・丸亀城など)などである。
またこの括りには存城当時、御三階櫓などと呼ばれていたものも含まれている。
また、西ヶ谷恭弘のように熊本城宇土櫓と大洲城台所櫓・高欄櫓を小天守と位置づけて現存天守とすることもある。

経緯

織田信長に始まったともいわれる城の象徴である天守は、関ヶ原の合戦前後に築城の最盛期を迎えるが、江戸幕府の一国一城令による破却で城郭の数は減少するとともに、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止された。
また、江戸時代を通じて災害などによる焼失や倒壊によって、その後は再建されなかった天守もあったため(江戸城、大坂城など)、その数は減少の一途であった。
しかも、幕末から明治にかけての戦争や明治政府の廃城令に伴う撤去、また災害や第二次世界大戦(太平洋戦争)での戦災などにより、更に失われた。

昭和20年(1945年)頃までは20城の天守が現存し、太平洋戦争での戦災やその戦後の失火によって焼失したもの8城(松前城・水戸城・大垣城・名古屋城・和歌山城・岡山城・福山城 (備後国)・広島城)もその中に含まれていた。
これらの8城は戦前・終戦直後までは国宝保存法での国宝などの文化財に指定されていたものであり、現存天守と呼ばれるものであったが、現在、文化財として見ることができるものは主に12城のもののみである。
これら12か所に残る天守を総称して現存12天守という。
これについては、後述する。

現存12天守

現存天守12城
経緯で述べられているように、20か所の現存天守の内8か所の天守が昭和の戦時中と戦後に焼失し、現在は12か所の天守が現存する。
いずれも文化財保護法に基づいて保存された古建築である。
国宝に指定されている天守は「国宝四城」(国宝城郭都市観光協議会による名称)、国の重要文化財に指定されている天守は「重文八城」と呼ばれることがある。

また、これらは一般的に近現代に再建された天守とを比較して「本物の城(天守)」と言われる。
その維持・保存には、文化庁の指導のもと釘一本に至るまで伝統的な城郭建築の技法を求められるため、多額の経費が必要である。
なお、ちょうど12城あるため、カレンダーの背景に使われることもある。

特徴

この節に、それぞれの天守の特徴などを挙げているが、その詳細はそれぞれの城の記事を参照のこと。
以下は、日本100名城による順で、代表紋章は全国城郭管理者協議会による。
また、親藩・譜代・外様は明治維新時の区別で、石高は1863年(文久3年)の幕府調べによる。
天守の建造年は、現在見られる建物が建造された年を示す。
それ以前の建物の建造年や構造についてはそれぞれの城の記事を参照のこと。

弘前城

青森県弘前市
1611年築城 - 1871年廃城
天守建造年1810年(文化 (日本)7年)
大名分類外様 石高10万石
築城者津軽為信、津軽信枚
主な改修者津軽寧親
代表紋章: 「津軽牡丹(つがるぼたん)」
文化財指定史跡、重要文化財9棟
その他指定:日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(4番)、美しい日本の歴史的風土100選

天守独立式層塔型3重3階の天守で、現在の現存天守の中では日本最北・最東端の地にある。
1627年(寛永4年)に落雷により天守を焼失した後、1810年(文化7年)に幕府にはばかって名目上櫓として3重3階天守層塔型構造で新築したもので、「御三階櫓」として幕府には届け出を出していた。
城外側にあたる東・南面には切妻破風を2重に重ねて出窓や出張を設け、窓の代わりに矢狭間を用いた構えである。
城内側にあたる西・北面には天守建築の特徴の一つである破風がなく、連続した窓があけられている。
また、寒さに対応するために鯱や屋根は銅瓦葺(木型の上に銅板を貼り付けているもの)となっている。
松本城
長野県松本市
1593年-1594年築城 - 1871年廃城
天守建造年大天守は1615年(慶長20年)。
乾小天守は1591年 - 1592年建造という説がある。
大名分類譜代 石高6万石
築城者石川数正、石川康長
主な改修者松平直政
代表紋章: 「笹竜胆紋(ささりんどう)」
文化財指定史跡、国宝5棟
その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(29番)美しい日本の歴史的風土100選
層塔型5重6階の大天守と3重4階の乾小天守、2重の辰巳附櫓と月見櫓を付属させた天守縄張りの天守で、「現存12天守」の中では唯一の平城の天守である。
破風が少なく、黒塗りの下見板がめぐらされているため、漆黒で簡素な外観であるが、複合連結式であるため見る角度によって異なる印象の意匠を見ることができる。
丸岡城
福井県坂井市
1576年築城 - 1871年廃城
天守建造年不明
大名分類外様 石高5万石
築城者柴田勝豊
主な改修者不明
代表紋章: 「五瓜に五剣唐花(ごかにごけんからはな)」
文化財指定重要文化財1棟
その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(36番)
独立式天守望楼型2重3階の天守で、最古の現存天守と言われている。
1948年(昭和23年)の福井地震により倒壊したが、元の古材を80パーセント近く使用して1955年(昭和30年)に再建された。
飾り外廻縁と高欄を有し、「現存12天守」の中では採光がよく室内が明るい点や、寒さで割れてしまう粘土瓦の代わりに石瓦が葺かれている(石の鯱も展示)ことなどの特徴がある。
犬山城
愛知県犬山市
1469年築城 - 1871年廃城
天守建造年1601年(慶長6年)
大名分類譜代 石高3万5千石
築城者織田広近
主な改修者織田信康
代表紋章: 「カタバミ家紋(まるにかたばみ)」
文化財指定 国宝1棟
その他指定: 日本100名城(43番)、美しい日本の歴史的風土100選
複合式望楼型3重4階地下2階の天守。
大入母屋屋根の建築の上に外廻縁側を突出させた小規模な望楼を上げた形状は丸岡城天守と同様である。
この天守は最上階に実用的な外廻縁と高欄が付けられ、華頭窓も付けられているが、実際は窓ではなく装飾である。
屋根裏となる3階にも唐破風出窓を設けるなどの採光が考慮されている。
彦根城
滋賀県彦根市
1622年築城 - 1874年廃城
天守建造年1606年(慶長11年)
大名分類譜代 石高23万石
築城者井伊直継
主な改修者なし
代表紋章: 「彦根橘(ひこねたちばな)」
文化財指定 史跡、国宝2棟・重要文化財5棟
その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(50番)、美しい日本の歴史的風土100選
天守複合式望楼型3重3階地下1階の天守で、幕府の普請(天下普請)による。
飾り外廻縁と高欄を持ち、切妻破風、入母屋破風、千鳥破風、唐破風が組み合った、複雑な構造美と輪郭の荘厳な景観の意匠となっている。
また、文禄・慶長の役の際に朝鮮半島に造られた倭城にも見られる「登り石垣」や大名庭園「玄宮園」も現存する。
姫路城
兵庫県姫路市
1346年築城 - 1871年廃城
天守建造年1601年(慶長6年)
大名分類譜代 石高15万石
築城者赤松貞範
主な改修者黒田孝高、池田輝政
代表紋章: 「揚羽蝶(あげはちょう)」
文化財指定特別史跡、国宝8棟、重要文化財74棟
その他指定: 文化遺産 (世界遺産)、日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(59番)、美しい日本の歴史的風土100選
望楼型5重6階地下1階の大天守と3重の小天守3基を2重の多聞櫓で連結させた天守連立式の天守で、日本国内最大の現存天守である。
白漆喰で塗られた白亜の外壁と屋根や破風の構成美の上、見る方向により異なった趣となる連立式である。
また桃山後期から江戸初期当時の作事(建築)の技を現代に伝える代表的な城郭と言われている。
また、「現存12天守」で唯一、天守内に神社(長壁神社)がある。
松江城
島根県松江市
1611年築城 - 1871年廃城
天守建造年1607年(慶長12年)
大名分類親藩 石高18万6千石
築城者堀尾吉晴
主な改修者京極忠高
代表紋章: 「六つ目結(むつめゆい)」
文化財指定史跡、 重要文化財1棟
その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(64番)、美しい日本の歴史的風土100選
複合式望楼型5重6階の天守で、内部に井戸がある唯一の現存天守。
外装は黒い下見板張りで、最上階には内廻縁と高欄を有し、鯱は木造銅板張である。
2階に付けられた石落しなどの装備の点でも極めて実戦的な造りであり、漆黒の武骨荘重な意匠となっている。
松山城 (備中国)
岡山県高梁市
1240年築城 - 1874年廃城
天守建造年1681年(天和 (日本)元年)
大名分類譜代 石高5万石
築城者秋葉重信
主な改修者三村元親、水谷勝宗
代表紋章: 「左三つ巴(ひだりみつともえ)」
文化財指定史跡、重要文化財3棟
その他指定:日本100名城(68番)、美しい日本の歴史的風土100選
渡櫓は失ってはいるが、複合式層塔型2重2階の天守で、現存天守の中では最も規模が小さい(高さ約11メートル)。
現存建築の残る山城の遺構としては、備中松山城の例のみである。
天守1階に囲炉裏が現存し、外観は、唐破風出窓や最上階の出格子の窓などにより重厚な意匠を醸し出している。
丸亀城
香川県丸亀市
(室町時代初期)1597年築城 - 1871年廃城
天守建造年1660年(万治3年)
大名分類外様 石高5万1千5百石
築城者(奈良元安)生駒親正
主な改修者山崎家治、京極高和
代表紋章: 「四つ目結(よつめゆい)」
文化財指定史跡、重要文化財3棟
その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(78番)
独立式層塔型3重3階の天守で、高さは約14.5メートルと弘前城天守(高さ約14.4メートル)の次に低い三重天守であるが、総高66メートルある総石垣の城の頂上に建てられている。
一国一城令により廃城になったが、1660年(万治3年)に「御三階櫓」として建造された。
最上重の屋根は平側面(南北面)に入母屋屋根の妻側を向け2重目の北面に向唐破風を一つ付けた外観は建物を大きく見せるためと見た目を重視したためである。
松山城 (伊予国)
愛媛県松山市
1602年築城 - 1873年廃城
天守建造年1852年(嘉永5年)
大名分類親藩 石高15万石
築城者加藤嘉明
主な改修者松平勝善
代表紋章: 「三つ葉葵(まるにみつばあおい)」
文化財指定史跡、重要文化財21棟
その他指定: 日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選、日本100名城(81番)、美しい日本の歴史的風土100選
層塔型3重3階地下1階の大天守と2重の小天守1基、2重櫓2基を多聞櫓で連結した連立式の天守で、平山城の比高において最も高い位置にある現存天守(標高約160メートル)である。
曲輪天守丸の上に築かれた構造の天o守は、黒船来航の翌年、将軍徳川家とゆかりのある松平家により復興されたものである。
「現存12天守」で唯一、築城主として「葵の御紋」が付されており、また日本では最も新しい日本式城郭建築の天守である。
1重・2重を下見板張り、3重目は白漆喰の塗られた外壁に飾りの外廻縁と高欄が付けられている。
最上階には「床の間」がある。
また、「登り石垣」や登城のための「松山城ロープウェイ」がある。
宇和島城
愛媛県宇和島市
941年築城 - 1871年廃城
天守建造年1666年(寛文6年)
大名分類外様 石高10万石
築城者橘遠保?
主な改修者藤堂高虎、伊達宗利
代表紋章: 「宇和島笹(うわじまざさ)」
文化財指定史跡、重要文化財1棟
その他指定: 日本の歴史公園100選(2次)、日本100名城(83番)
独立式層塔型3重3階の天守で、日本最南・最西端にある現存天守。
白漆喰の塗られた外壁や破風と屋根・青銅製の鯱などの調和がよく取れた意匠である。
また、「現存12天守」の中で、唯一、城内に障子建具が残っている。
大名庭園である「天赦園」も現存している。
高知城
高知県高知市
1603年築城 - 1871年廃城
天守建造年1747年(延享4年)
大名分類外様 石高24万石
築城者山内一豊
主な改修者山内豊敷
代表紋章: 「丸に細三つ柏・土佐柏(まるにほそみつかしわ・とさかしわ)」
文化財指定史跡、重要文化財15棟
その他指定: 日本の歴史公園100選、日本100名城(84番)
独立式望楼型4重6階の天守で、天守台がなく本丸御殿(現存)に入口がある現存天守。
1747年(延久4年)に再建されたものであるが白漆喰で塗られた外壁に、2重目の大入母屋や千鳥破風、軒唐破風、実用的な外廻縁と擬宝珠高欄や大きな引戸が付けられた古式で開放的な意匠である。
最上重屋根大棟上と2重目大入母屋屋根の大棟上には青銅製の鯱があげられている。

[English Translation]