神宮式年遷宮 (Jingu Shikinen Sengu)

神宮式年遷宮(じんぐう しきねん せんぐう)は神宮(伊勢神宮)の式年遷宮のことである。

神宮では、20年ごとに皇大神宮・豊受大神宮の正殿など正宮・別宮の全ての社殿と鳥居を建て替え、御装束・神宝も造り替え神体を遷す。
明治から昭和初期には同時に、太平洋戦争以降は式年遷宮の4年前に宇治橋が架け替えられるようになった。

690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代などの中断期を除き、1993年の第61回式年遷宮まで連綿と20年ごと(一部延期などあり)に続けられてきている。

2005年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2013年には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。

遷宮の意義

遷宮を行う理由としては、建物が老朽化し、建替えが必要であるということである。

白木の掘立柱、萱葺屋根では、長持ちはしない。

しかし、式年遷宮の制度が定められた天武朝の前後には、創建(または再建)当時の建物が現存する法隆寺が建築されている。

当時の国力・技術をもってすれば、神宮も現在にも残る建物にすることは可能であったと思われる。

それを、あえて膨大な国費を投じて式年遷宮を行う途を選んだのは、当事者である神宮自身にも明確な記録はないようであるが、次の4つの理由が考えられている。

当時でも過去の建築様式である弥生建築を保つことに何らかの意義を見出していたと思われること。

神道の精神として、常に新たに清浄である事を求めていること(「常若(とこわか)」という)。
即ち、建物が(使用可能であっても)老朽化することは、汚れ(気枯れ)ることであり神の生命力を衰えさせることで、そして、それらを新しくすることにより、神の生命力が蘇り活性化するという考えである。

天武天皇の時代に初めて大嘗祭が行われた。
これは、天皇祭祀である毎年の新嘗祭に対する、一世一度の行事である。
これに対応して毎年の神嘗祭に対する大神嘗祭として遷宮が行われるようになった。

天武天皇以前には天皇が変わるごとに宮を代えていたが、恒久的な宮(藤原京)が建設されることになり、宮代わりがなくなったのでその意義を神宮の遷宮に託した。

次に式年遷宮が20年ごとである理由としては、同じく確たる記録は無いが以下の理由が考えられている。

建物が、上述の「清浄さ」を保つ限度が、20年程度である。
(耐用年数という意味ではない。)

建替えの技術の伝承が、当時の寿命から適当である。
(10~20代で見習い・下働き、30~40代で中堅・棟梁、50代以上は後見)

旧暦での「朔旦冬至(さくたんとうじ)」(11月1日が冬至となる)が19~20年に一度(メトン周期)である。

社会・人生の区切りとして20年が適当である。

式年遷宮は、大神嘗祭という一面を持つが、それに使う穀物の保存年限が20年である。

用材

遷宮においては、1万本以上のヒノキ材が用いられる。

その用材を伐りだす山(御杣山・みそまやま)は、第34回式年遷宮までは、3回ほど周辺地域に移動したことはあるものの、すべて神路山・高倉山という内宮・外宮背後の山であった。

その後、内宮用材は第35回式年遷宮から三河国に、外宮用材は第36回式年遷宮から美濃国に移り、第41回式年遷宮から第46回式年遷宮までは、伊勢国大杉谷に移った。

当該地は江戸時代において徳川御三家の一つである紀州藩の領地であった。

しかしながら、原木の枯渇による伐り出しの困難さから、第47回式年遷宮から同じ御三家の尾張藩の領地である木曾谷に御杣山は移動し、以降(第51回式年遷宮のみ大杉谷に戻ったが)木曽を御杣山としている。

明治維新以降、尾張藩の森林は国有化され、明治時代後期から大正時代にかけて赤沢自然休養林をはじめとする地域に神宮備林が設定され、樹齢200年から300年の用材の安定提供が可能なように計画的に植林された。

第二次世界大戦後、神宮備林の指定は外されたが現在も遷宮用材の主な供給地となっている。

神宮では、大正12年(1923年)に森林経営計画を策定し、再び神路山・島路山・高倉山を御杣山とすべく、大正末期(1925年または1926年)から檜の植林を続けている。

檜の生長には200年はかかるため、本格的に使用されるのは、120年後(2125年)、また重要用材も25世紀には供給しようという遠大な計画である。

ただし、第62回では間伐材をそれなりの用途で使用し、全用材の25%を賄う。

旧殿に使用された用材は神宮内や摂社・末社をはじめ全国の神社の造営等に再利用される。
内宮御正殿棟持柱は次は宇治橋神宮側鳥居になり、更に関宿の東の追分の鳥居になる。
外宮御正殿棟持柱は次は宇治橋おはらい町側鳥居になり、更に桑名宿の七里の渡しの鳥居になるという具合である。

祭典と行事

(年月日は、左側が第61回神宮式年遷宮の日程、右側が進行中の第62回神宮式年遷宮の日程、日が書かれていないものは未決定である。
※印は、御治定(ごじじょう)といい、天皇が日程を定める。)

山口祭

やまぐちさい

1985年5月2日/2005年5月2日※

遷宮の最初の行事。
用材を切り出す御杣山の山口にある神を祭る儀式。

現在、用材は木曽山中から切り出すが、この儀式は古来のまま内宮は神路山、外宮は高倉山と、いずれも境内背後の山で行われる。

木本祭

このもとさい

1985年5月2日/2005年5月2日※

心御柱(しんのみはしら)にする木を切り出す前に、その木の神を祭る儀式。

深夜に行われ非公開。

御杣始祭

みそまはじめさい

1985年6月3日/2005年6月3日

御樋代(御神体を納める容器)にする木を切り出す行事。

前回と同じく、長野県上松町で行われる。

用材は、「三ツ尾伐り(三つ紐伐りともいう)」という古くからの作法で切り出す。

式典は、内宮・外宮の順で行われ、内宮用・外宮用各1本伐採される。
2本が交差するように倒すのが習わしである。

裏木曽御用材伐採式

うらきそごようざいばっさいしき

1985年6月5日/2005年6月5日

御樋代木は裏木曽でも切るため、その安全を祈願する。

前回と同じく、岐阜県中津川市(元加子母村)で行われる。

式典次第は、御杣始祭と同様である。

御樋代木奉曳式

みひしろぎほうえいしき

<内宮>1985年6月10日/2005年6月9日<外宮>1985年6月11日/2005年6月10日

木曽から切り出された御樋代木(両宮とも予備2本を含む)を伊勢到着後両宮境内五丈殿まで運び入れる儀式。

内宮へは五十鈴川を三重県営体育館裏から内宮境内風日祈宮橋まで木橇(きぞり)で遡る。
(「川曳(かわびき)」)

外宮へは宮川河畔の度会橋から市内を外宮まで奉曳車で曳く。
(「陸曳(おかびき)」)
厳密には市内の奉曳は地元奉曳本部主催の「奉曳行事」であり、神宮主催の「奉曳式」は、外宮北御門から五丈殿までである。

繰り糸はじめ式

くりいとはじめしき

(前回不詳)/2005年7月8日

愛媛県西予市の製糸工場にて、御神宝・御装束に使う生糸の生産開始にあたり行う。

御船代祭

みふなしろさい

<内宮>1985年9月17日/2005年9月17日<外宮>1985年9月19日/2005年9月19日※

両正宮および別宮の御樋代を納める御船代(船の形をしている)の用材を切り出すにあたり行われる儀式。

参進、修祓ののち宮山祭場(内宮:風日祈宮橋南東、外宮:土宮東方)で祭儀が行われる。

最重要なのは「物忌」と呼ばれる童男(内宮)、童女(外宮)が忌斧で木を伐る儀式。

実際の用材は、木曽(内宮)および裏木曽(外宮)で、この儀式の進行に合わせ伐り出される。

御装束神宝御料織初式

おんしょうぞくしんぽうごりょうおりぞめしき

(前回不詳)/2005年11月9日

京都市上京区にある織物工場で、御装束・御神宝の織り初めにあたり、祝詞奏上・雅楽奉納・清祓などを行う。

御木曳初式

おきひきぞめしき

<内宮・同別宮>1986年4月12日/2006年4月12日(但し瀧原2宮と伊雑宮は4月16日)<外宮・同別宮>1986年4月13日/2006年4月13日

御木曳行事の皮切りとして両宮正殿垂木などの重要な用材(「役木」という)を、特定の「神領民(江戸時代以前の伊勢神宮領地の住民)」が運搬する儀式。
第61回までは、「棟持柱など」という表現をしていたが、第62回には「棟持柱」は含まれないと公表している。

役木は内宮・外宮とも正宮が各3本、別宮は各1本である。

御樋代木奉曳式とほぼ同様であるが、以下の点が異なる。

内宮境内への曳き上げは御手洗場(みたらしば)からとなる。

陸曳は宮川から木を引き揚げ、宮川堤防で水を切る「どんでん」という作業を再現する。

別宮役木は、御敷地まで運び入れるため、最後は木を担いで奉搬するところもある。
また域外の内宮別宮へは橇または奉曳車による陸曳となる。

奉曳車は各地域独自のものとなり、木遣り歌(きやりうた)なども異なる。

役木曳(やくぎびき)とも言う。

木造始祭

こづくりはじめさい

1986年4月21日/<内宮・外宮>2006年4月21日、<荒祭宮・多賀宮>4月22日、<月讀宮>4月23日、<瀧原宮・伊雑宮>4月25日、<風日祈宮・倭姫宮>4月27日、<土宮・月夜見宮・風宮>4月28日

造営工事の開始にあたって作業安全を祈る儀式。

御木曳初式で運び入れられた役木の前に神饌を供え、家屋の守護神である屋船大神(やふねのおおかみ)に祝詞を奏上する。

小口を切り、墨を引き、忌斧を打ち入れる所作をおこなう。

手斧始(ちょうなはじめ)とも事始神事(ことはじめしんじ)ともいう。

内宮では祭儀の前に、外宮では祭儀の後に、「神宮司庁」が造営作業に携わる「神宮式年遷宮造営庁」の関係者を膳と神酒でもてなす饗膳(きょうぜん)の儀が行われる。

御木曳行事

おきひきぎょうじ

第1次陸曳(おかびき)1986年4月26日・27・4月29日・5月10日・5月11日・5月17日・5月18日・5月24日・5月25日・5月31日・6月1日/2006年5月5日・5月6日・5月7日・5月12日・5月13日・5月14日・5月19日・5月20日・5月21日・5月26日・5月27日・5月28日・6月2日・6月3日・6月4日<斜字は一日神領民のみの奉曳日>

第1次川曳(かわびき)1986年5月17・18・24・25日/2006年7月22日・7月23日・7月29日・7月30日

第2次陸曳1987年5月5日・5月9日・10・5月16日・17・5月23日・24・25・5月30日・31日・6月6日・6月7日/2007年5月4日・5・6・12・13・19・20・26・27日・6月2・3日<予備日は、各月曜日。>

第2次川曳1987年5月10・17・24・31日/2007年7月21日・22・7月28日・29日<予備日8月4日・5日>

遷宮行事前半最大の大衆参加行事。

全神領民が参加するほか、陸曳には全国から参集した「一日神領民」(第61回は約2万人、第62回は1年次約35千人)も参加する。

行事の概略は、御木曳初式と同様であるが、奉曳コースは以下のとおり若干異なるほか、用材は2本・3本の場合がある。

陸曳は、外宮山田工作場の貯木池へ用材を納める。

川曳は、内宮境内へ宇治橋手前で曳き上げ、参集殿前で神宮に用材を引き渡す。

内宮用材は川曳を行うが、歴史的事情により陸曳を行う例外がある。

遷宮復活に功績のあった慶光院(けいこういん)に与えられた領地であった磯町の住民が、内宮扉木を宮川河畔から外宮、倭姫宮を経由して内宮宇治工作場まで陸曳で奉曳する。
慶光院曳(けいこういんびき)という。

伊勢湾岸にあり、海運当時の用材集積地であった大湊町の住民が、内宮棟持柱を倭姫宮から内宮宇治工作場まで陸曳で奉曳する。

伊勢の「お木曳き」行事として、国の選択無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼(信仰))に選択されている。

仮御樋代木伐採式

かりみひしろぎばっさいしき

1986年7月13日/2006年5月17日

旧殿から新殿まで御神体を遷す際に御神体を入れる「仮御樋代」と「仮御船代」にする用材を切り出す儀式。

鎮地祭

ちんちさい

1988年4月25日/2008年4月25日(別宮は4月25日~5月2日)※

新宮建設予定地で作業安全を祈る儀式。
一般の地鎮祭に相当。

宇治橋修造起工式

うじばししゅうぞうきこうしき

1988年7月19日/2008年7月26日

橋の架け替えを前に工事の安全を祈願する。

橋を守護する饗土橋姫神社で祝詞奏上後、仮橋架橋位置で橋の杭を3度ずつ打ち固める。

仮橋修祓

かりばししゅはつ

(前回不詳)/2009年12月27日

仮橋完成時に安全祈願のお祓いをする。

宇治橋渡納式

うじばしわたりおさめしき

1989年1月16日/2009年1月

架け替えられる宇治橋の最後の通行を儀式化。

純市民行事として行われる。

宇治橋萬度麻奉下式

うじばしまんどぬさほうげしき

(前回不詳)/2009年2月2日

宇治橋解体前に擬宝珠内に納められている萬度麻を下げる。

宇治橋渡始式

うじばしわたりはじめしき

1989年11月3日/2009年11月3日

橋の安全祈願

橋を守護する饗土橋姫神社で祈願した後、萬度麻を擬宝珠に納める。

神領地から選ばれた「渡女(わたりめ)」を先頭に夫、子夫婦、孫夫婦が渡り初めを行い、全国から選ばれた三世代揃った夫婦が続く。

立柱祭

りっちゅうさい

<内宮>1992年3月11日/2012年3月<外宮>1992年3月13日/2012年3月※

正殿の柱を最初に立てる儀式。

御形祭

ごぎょうさい

<内宮>1992年3月11日/2012年3月<外宮>1992年3月13日/2012年3月

御形(正殿の妻の束柱の装飾)を穿つ儀式。

立柱祭に続き行われるが非公開。

上棟祭

じょうとうさい

<内宮>1992年3月26日/2012年3月<外宮>1992年3月28日/2012年3月※

正殿の棟木を上げる儀式。

綱を引っ張り棟木を上げる所作をする。

檐付祭

のきつけさい

<内宮>1992年5月23日/2012年5月<外宮>1992年5月25日/2012年5月

新殿の屋根の萱を葺き始める儀式。

甍祭

いらかさい

<内宮>1992年7月21日/2012年7月<外宮>1992年7月23日/2012年7月

新殿の屋根を葺き終える儀式。

お白石持行事

おしらいしもちぎょうじ

<内宮>1993年7月31日~8月11日・8月17日~8月19日/2013年7・8月<外宮>1993年8月2日~8月30日/2013年7・8月

遷宮行事後半最大の大衆参加行事。
前回は約21万人が参加した。

宮川河原から採集した「お白石」を御木曳同様に陸曳・川曳で運び、正殿用地に敷き詰める行事。

遷御後は、絶対に立ち入ることのできない、正殿そばまで入ることができる唯一の機会。

基本的には、一日神領民も含め、御木曳行事参加者が参加する。

伊勢の「白石持ち」行事として、国の選択無形民俗文化財(風俗習慣・祭礼(信仰))に選択されている。

御戸祭

みとさい

<内宮>1993年9月13日/2013年9月<外宮>1993年9月15日/2013年9月

新殿に扉を取り付ける儀式。

御船代奉納式

みふなしろほうのうしき

<内宮>1993年9月17日/2013年9月<外宮>1993年9月19日/2013年9月

御船代を正殿内に納める儀式。

洗清

あらいきよめ

<内宮>1993年9月24日/2013年9月<外宮>1993年9月26日/2013年9月

文字通り新殿内を洗い清める儀式。

心御柱奉建

しんのみはしらほうけん

<内宮>1993年9月25日/2013年9月<外宮>1993年9月27日/2013年9月

心御柱を新正殿床下に立てる儀式。

深夜に行われ非公開。
詳細不明。

杵築祭

こつきさい

<内宮>1993年9月28日/2013年9月<外宮>1993年9月29日/2013年9月※

新殿敷地を撞き固める儀式。

後鎮祭

ごちんさい

<内宮>1993年10月1日/2013年10月<外宮>1993年10月4日/2013年10月

新殿敷地の平安を祈る儀式。

御装束神宝読合

おんしょうぞくしんぽうとくごう

<内宮>1993年10月1日/2013年10月<外宮>1993年10月4日/2013年10月

遷宮に合わせ作り替えられた御装束と御神宝を読み合わせる儀式。

川原大祓

かわらおおはらい

<内宮>1993年10月1日/2013年10月<外宮>1993年10月4日/2013年10月

「仮御樋代」・「仮御船代」・御装束神宝や遷御参加者を祓い清める儀式。

御飾

おかざり

<内宮>1993年10月2日/2013年10月<外宮>1993年10月5日/2013年10月

殿内装飾。

遷御

せんぎょ

<内宮>1993年10月2日/2013年10月<外宮>1993年10月5日/2013年10月※

御神体を旧殿から新殿へ遷す儀式。

遷宮行事の中核神事。

皇族を始め多数の参列者が見守るが、儀式は夜間行われ、照明もほとんどない。

大御饌

おおみけ

<内宮>1993年10月3日/2013年10月<外宮>1993年10月6日/2013年10月

新殿において、初めて大御饌を奉る儀式。

奉幣

ほうへい

<内宮>1993年10月3日/2013年10月<外宮>1993年10月6日/2013年10月

天皇から奉られる幣帛を奉納する儀式。

古物渡

こもつわたし

<内宮>1993年10月3日/2013年10月<外宮>1993年10月6日/2013年10月

旧殿内の神宝類を新殿の西宝殿に移す儀式。

御神楽御饌

みかぐらみけ

<内宮>1993年10月3日/2013年10月<外宮>1993年10月6日/2013年10月

御神楽に先立ち御饌を奉る儀式。

御神楽

みかぐら

<内宮>1993年10月3日/2013年10月<外宮>1993年10月6日/2013年10月※

天皇から派遣された宮内庁式部職の楽師が御神楽などを奉納する儀式。

[English Translation]