茜部荘 (Akanabe-no-sho Manor)

茜部荘(あかなべのしょう)は、平安時代~室町時代にかけて美濃国にあった荘園。
もと厚見荘(あつみのしょう)。
東大寺領。

所在

美濃国厚見郡南部。
現在の岐阜県岐阜市茜部地区(茜部大野、茜部中島、茜部菱野、茜部新所、茜部寺屋敷など)が中心地。

規模

弘仁9年(818年)に107町339歩。

起源

もとは桓武天皇の勅旨田で、大同 (日本)4年(809年)2月21日に立荘。
桓武天皇は皇女・朝原内親王に譲渡し、弘仁9年3月27日に彼女の遺命により、その母の酒人内親王によって東大寺に寄進された。

東大寺領となった後、天長7年(830年)、宇佐八幡宮を勧請し茜部神社(延喜式神名帳)が創建されたという。

天徳 (日本)4年(960年)には厚見荘から茜部荘に改称されている。

領主

東大寺

終焉

鎌倉時代に大江広元の子の長井時広が地頭になり、代々これを相続、東大寺と訴訟を繰り返して勢力を拡大するが、南北朝時代 (日本)に後醍醐天皇が没収し、東大寺に再寄進した。
その後の地頭は不明だが、応仁の乱の頃には完全に東大寺のもとを離れた。

備考

年貢は東大寺の衣服料にあてたため、絹や綿で収めた。

[English Translation]