与話情浮名横櫛 (Yohanasake Ukinano Yokogushi)

『与話情浮名横櫛』(よわなさけ うきなの よこぐし、旧字体:與話……)とは歌舞伎世話物の名作のひとつである。
通称に『源氏店切られ与三』(げんじだな きられよさ)、『お富与三郎』(おとみ よさぶろう)など。

概要

菅良助の講談が原作。
木更津市で起きた長唄の師匠・4代目芳村伊三郎の実際の事件を元にしたものである。
瀬川如皐 (3代目)が歌舞伎に仕立て嘉永6年1月14日 (旧暦)(1853年2月21日)に江戸・中村座で初演となった。

元来は9幕の長編だが、現在では前半部の「見染め」「源氏店」が演じられる事が多い。
初演時は市川團十郎 (8代目)の与三郎が好評であった。
元来お坊ちゃんの与三郎が色恋沙汰で与太者に転落する。
いきがりつっぱてみても、どこか甘さとひ弱さが同居する。
そんな複雑な役に團十郎はぴったりで、作者・如皐の仕掛けが見事に当たった。
明治の末に「源氏店」が市村羽左衛門 (15代目)の与三郎、尾上梅幸 (6代目)のお富、尾上松助 (4代目)の蝙蝠安によってくり返し演じられて人気を呼んだ。
戦後は市川團十郎 (11代目)の与三郎・尾上梅幸 (7代目)のお富、現在は片岡仁左衛門 (15代目)の与三郎・坂東玉三郎 (5代目)のお富というように歴代の美男美女の組み合わせて上演されるのが特徴。

後半部は、和泉屋の与三郎の強請り。
野陣ガ原での与三郎の捕縛。
続いて「嶋の為朝」という所作事が入り与三郎の遠島が暗示される。
島を抜けた与三郎が下男の忠助のはからいで縁を切った生みの親に出会う情感豊かな「伊豆屋店先の場」。
平塚の土手で与三郎が赤間と再会する世話だんまりのあと大詰は旧知の観音久次の自己犠牲で与三郎の傷跡が消える「観音久次内の場」となる。
しかし「伊豆屋店先」以外はあまりよい出来でなく今日ではほとんど上演されない。
ただし作者には続きの構想案があった模様である。

初演時の配役

与三郎・・・・・・市川團十郎 (8代目)
お富・・・・・・・尾上菊五郎 (4代目)
和泉屋多左衛門・・關三十郎 (3代目)
観音久次・・・・・市川小團次 (4代目)
蝙蝠安・・・・・・中村仲蔵 (3代目)

あらすじ(原作の二幕目三幕目)

江戸の大店の若旦那であった与三郎は木更津でお富に出会い、一目惚れする(「木更津海岸見染」)。
ところがお富は赤間源左衛門の妾であった。
情事は露見し与三郎は源左衛門の手下にめった斬りにされ海に投げ捨てられた。
それを見て逃げ出したお富は子分の海松杭の松に追われ入水を図る。

ところがなんと2人とも命をとりとめ、お富は和泉屋の大番頭・多左衛門の妾宅(鎌倉の源氏店)に引き取られる。
与三郎は実家を勘当され無頼漢となり34箇所の刃傷の痕を売りものにした「切られ与三」として悪名を馳せることとなる。

ある日、与三郎はごろつきの蝙蝠安とともにお富の妾宅に強請りに来る。
片時もお富を忘れることのできなかった与三郎はお富を見て驚くと同時に、またしても誰かの妾になったかと思うとなんとも肚が収まらない。
恨みと恋路を並べ立てる名台詞があり、やがて多左衛門のとりなしで二人は金をもらって引き上げる(「源氏店」)。
その場を切り抜けるためお富は与三郎を兄だと言い繕ったのだったが実は多左衛門こそお富の兄であった。
多左衛門は全てを承知の上で二人の仲をとりもとうとしていたのである。

なお、原作ではお富のもとに引き返した与三郎が和泉屋の番頭が海松杭の兄であることから赤間一味の悪事を嗅ぎつけて復讐を誓う。
また刀傷を治す妙薬を知るなどの件の後、与三郎が「命がありゃあ話せるなあ」とお富を抱くところで幕となる。
だが、時間の関係でこの部分もほとんど上演されない。

名科白

四幕目、源氏店妾宅の場より、与三郎の名科白。

与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、 いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。

お 富:そういうお前は。

与三郎:与三郎だ。

お 富:えぇっ。

与三郎:おぬしぁ、おれを見忘れたか。

お 富:えええ。

与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)。
命の綱の切れたのを どう取り留めてか 木更津から めぐる月日も三年(みとせ)越し。
江戸の親にやぁ勘当うけ よんどころなく鎌倉の 谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても。
面(つら)に受けたる看板の 疵(きず)がもっけの幸いに 切られ与三と異名をとり
押借(おしが)り強請(ねだり)やぁ習おうより 慣れた時代(じでえ)の源氏店
そのしらばけか黒塀(くろべえ)の 格子造りの囲いもの 死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁおぬしぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ 帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。

派生作品

『八幡祭小望月賑』(縮屋新助)
本作の後日談として、河竹黙阿弥が市川小團次 (4代目)のために書いた。
江戸に出てきた源左衛門がお富に瓜ふたつの芸者・おりよに横恋慕したことから、越後の商人・新助が悲劇に巻きこまれる筋。

中村吉右衛門 (初代)の新助、中村歌右衛門 (6代目)のおみよが当たり役。

『処女翫浮名横櫛』(切られお富)
与三郎ではなくお富が切られ、再会した愛人・与三郎のため源左衛門に強請りを働く。
後にお富と与三郎は小さいころに生き別れた兄妹であることが分かる。
それと知らず関係を持った罪悪に二人は自害して果てる。
黙阿弥が名女形・澤村田之助 (3代目)のために書いた。
幕末の頽廃味が漂い、書替え狂言にもかかわらず内容、構成ともに原作をしのぐ名作。

三代目澤村田之助をはじめ、澤村源之助 (4代目)、前進座の河原崎國太郎 (5代目)の当たり役でもあった。

『与三郎』
小山内薫作の戯曲。
本作の「伊豆屋」を元に近代的な解釈をほどこした。

[English Translation]