付喪神 (Tsukumogami)

付喪神(つくもがみ)とは、日本の民間信仰における観念で、長い年月を経て古くなったり、長く生きた依り代(道具や生き物や自然の物)に、神 (神道)や霊魂などが宿ったものの総称である。
荒ぶれば(荒ぶる神・九尾の狐など)禍を齎し、和ぎれば(和ぎる神・お狐様など)幸を齎すとされる。

概要

「付喪」自体は当て字で、正しくは「九十九」と書く。
この九十九は「長い時間(九十九年)や経験」「多種多様な万物(九十九種類)」などを象徴する。
また九十九髪と表記される場合もあるが、「髪」は「白髪」に通じ、同様に長い時間経過や経験を意味し、「多種多様な万物が長い時間や経験を経て神に至る物(者)」のような意味を表すとされる。

背景
古神道との共通性

日本の古神道においては、古来より森羅万象に八百万(やおよろず)の神が宿るとするアニミズム的な世界観(八百万の神・汎神論)が定着していた。
その特徴の一つとして「神さび」という言葉が、古くから使われ、長く生きたものや、古くなったものはそれだけで、神聖であり神々しいとされてきた。
その具体的なものとして、神籬(ひもろぎ・木々のこと)や磐座(いわくら・岩や山のこと)信仰があり、長く生きた大木や昔からある岩に神が宿ると考え、それらを神体とし、依り代の証しとして注連縄を巻き信仰している。

付喪神となりうる寄り代も森羅万象であり、人工の器物(道具)や建造物の他、動植物や自然の山河などに及ぶ。
付喪神は、必ずしも人に幸をもたらすとは限らず、禍をもたらすものであり、妖怪として語られることも多い。
作られて誕生して長い時間を経て、健在でありつづけた器物や生き物などには、霊魂が宿るとして「畏怖や畏敬の念を抱く」といった習慣・価値観は、日本に普遍的に存在するものであり、根底に流れる思想は神道や古神道と同じものである。
またそれらを、鎮めるため(和御魂・荒御魂という神霊の2つの様相の変化)に建立した碑や塚や供養塔も日本各地に多数存在し、例としては包丁塚や人形塚や道具塚などがある。

感謝

これらの価値観をもたらす背景としては、道具や家畜などを「大切に扱い手入れを絶やさぬように」という教訓的なものや、手入れの疎かな古道具を安易に用いることによる破損や事故の回避、長く身の回りの役に立ってくれた道具や家畜・愛玩動物に対する感謝の心として解釈される。
丁重に扱われ、付喪神となったものが、恩を返すなどした伝承もある。
また粗末に扱ったり供養を絶やすと、付喪神となり荒ぶるとする考えから、役目を終えた道具や生き物に対する供養を行う習慣につながっている。

森羅万象の擬人化

道具や、一般に人格を認められることのない家畜・動植物・自然などに、神霊が宿り意志を持つといった価値観は、戯画や漫画などの擬人化の一環とし考えられる。
現に妖怪の唐傘などは目・鼻・口・手足をもって描かれ、猫又などの動物の妖怪も付喪神に含めることが可能であり、長命によって魂(人格)を獲得するとする図式に漏れない。
これは山や川などの「ヌシ(主)の伝承」にしても同様の構図を持つものであり、付喪神もまた日本古来よりのアニミズム的な価値観から、人格や生命すら持ち得ない対象でさえ時にこれらを獲得し得る、あるいは借景(しゃっけい)や和菓子の造形と同様の「見立ての精神」における、解釈して楽しむといった擬人観が、普遍的な価値観としてこれらの根底に存在するということである。

歴史

鎌倉時代以前は、道具や身近な家畜や飼い猫・飼い犬などは、妖怪としてほとんど描かれていない。
古神道そのままに自然の具現化としての、龍や蛇や狐などが、その脅威を表すかのように荒々しく描かれているものだけである。

鎌倉時代(かまくらじだい、1185年頃-1333年)
『土蜘蛛草子』には、九十九神の原型ともいえる描写があり、鶏や狐の姿をした女性や妖怪としての獏が描かれ、五徳と牛が合体したものや、杵に蛇の体と人の腕が2本くっついたものや、角盥(つのだらい)の縁に歯が生えそのまま顔になっている人形(ひとがた)が描かれている。
『不動利益縁起絵巻』にも安倍晴明とその使役される式神が5体描かれていて、鶏や角盥や五徳を擬人化したものである。

室町時代(むろまちじだい、1336年 - 1573年)
この時代に単なる妖怪ではなく、その由来や設定がなされ九十九神と命名された。
『付喪神記』の冒頭に「陰陽雑記に云ふ。器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑かす、これを付喪神と号すと云へり」とある。
絵画や絵巻では『鼠草紙』・『十二類合戦』とよばれる生き物を模した物や、『化物草子』では、案山子や柄杓の九十九神が描かれている。
室町時代に軽工業の発達から生活道具が大量に出回り、臼や釜や鍋などから、桶や壷が、安易に消費されるようになり、これらも九十九神として描かれている。
土佐光信の『百鬼夜行図』は、これまで描かれた文字通り鬼が主流であった百鬼夜行とは違い、九十九神を中心にかかれている。
この時代が、九十九神の黄金期であったことがうかがえる。

江戸時代以降
もっぱら妖怪として描かれ、その造形は江戸時代以前からあった自然の具現化と九十九神などの生活必需品(家畜などを含め)を踏襲したものである。
ただ、九十九神における歳を経たものという特筆が見られる場合が少なくなっている。
これは、太平の庶民文化の隆盛から、口碑伝承のないこの時代の作家に創作された妖怪の類の氾濫と、杉浦日向子などの江戸時代研究家や学者が説明する「江戸時代は世界に類を見ない資源還元(リサイクル)社会であった」という事実と合致する。
棒手振り(棒手売)が幕府による経済振興や弱者救済として奨励され、古物の修理・回収が盛んになり、物の消費に一定の罪悪感が無くなったことや、鯨などの食料や資源の徹底した活用や、それによって生ずる人糞までも肥料化による利用と売買など、消費が振興となったことが大きいといえる。

現在
江戸時代の人海戦術と社会制度による資源還元にまでは、至っていないが、「もったいない」や「里山・鎮守の森」のように、九十九神や妖怪は自然保護を含めたものとして、日本はもとより世界に発信されるべき観念や価値観ともいえる。

現代の目撃談
現代社会の例としては、全国各地の第三セクターにある放棄され廃墟と化している無人遊園地では、深夜になると無人のジェットコースターがひとりでに走り、白馬のメリーゴーランドが生身の白馬に変化し苦しみもがき、迷子の子供がマンホールから次々と這い出てくる不思議な目撃話が語られている。
霊能力者によれば遊園地に残っているのは当時の入場客の「想い」であるといい、その「想い」が器物につき怪奇現象を起こすのだという。

[English Translation]