兵法家 (Heihoka/Hyohoka (tactician))

兵法家とは、以下を意味する。

「へいほうか」とは、中国の孫武や呉起など軍学としての戦略、戦術を説く兵法者。

「ひょうほうか」とは、日本の戦国時代 (日本)の日本武術家。
以下詳説する。

兵法家(ひょうほうか)は、日本の戦国時代 (日本)に、武芸(剣術・槍術などの日本武術)を教授することにより生計を立てていた者のこと。

「兵法(ひょうほう)」はあくまで個人の武芸の技を磨くものである。
そのため、実戦においてはあまり役に立つものとは考えられておらず、高名な武将(加藤清正・福島正則など)であっても兵法を習ったというものは少ない。
むしろ当時は足軽技とみなされる傾向にあった。
兵法家として自称したのは、塚原卜伝・上泉信綱・宮本武蔵などが有名である。
ただし、兵法家の価値は全般的には必ずしも高くはなかった。
(大局を宰領する武将とはみなされなかったのであろう。)
大名出身の柳生藩以外でもっとも高禄であった宮本武蔵でさえ、晩年、細川氏において、客分700石という小藩の家老程度の待遇であった。
(もっとも武蔵はその芸術家的天分と剣術を形而上的領域にまで昇華したという点で、並みの「兵法家」とは区別できる)。

[English Translation]