南総里見八犬伝 (Nanso Satomi Hakkenden (The Chronicles of the Eight Dog Heroes of the Satomi Clan of Nanso))

南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん、南總里見八犬傳)は、江戸時代後期に曲亭馬琴(滝沢馬琴)によって著された読本。
里見八犬伝、あるいは単に八犬伝とも呼ばれる。

文化 (元号)11年(1814年)に刊行が開始され、28年をかけて天保13年(1842年)に完結した、全98巻、106冊の大作である。
上田秋成の『雨月物語』などと並んで江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つである。

概要

『南総里見八犬伝』は、室町時代後期を舞台に、安房里見氏の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説である。
共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣を身体のどこかに持っている。
関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集する。

『八犬伝』にもっとも強い影響を及ぼしているのは『水滸伝』である。
たとえば『水滸伝』では百八の魔星が飛び散り、のちに豪傑英雄として各地に現われるが、『八犬伝』では八つの数珠玉が飛び散り、のちに八犬士として世に現われる、というように発端と構成が共通する。
粗暴な部分もある『水滸伝』の英傑たちの物語を換骨奪胎したものが『八犬伝』であり、忠臣・孝子・貞婦のおこないは報いられ、佞臣・姦夫・毒婦のおこないは罰せられる、儒教的道徳にもとづいた勧善懲悪の物語となっている。

馬琴はこの物語の完成に、48歳から75歳に至るまでの後半生を費やした。
その途中失明という困難に遭遇しながらも、息子宗伯の妻である土岐村路の口述筆記により最終話まで完成させることができた。
『八犬伝』の当時の年間平均発行部数は500部ほどであったが、貸本により実際にはより多くの人々に読まれており、馬琴自身「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」と述べる人気作品であった。
明治に入ると、坪内逍遥が『小説神髄』において、八犬士を「仁義八行の化物にて決して人間とはいひ難かり」と断じ、近代文学が乗り越えるべき旧時代の戯作文学の代表として『八犬伝』を批判しているが、このことは、当時『八犬伝』が持っていた影響力の大きさを示している。

本作は現在に至るまで大衆文学・ドラマ・漫画・アニメなど各ジャンルの創作に影響を与え、多くの翻案が生み出された。
「前世の因縁に結ばれた義兄弟」「共通する聖痕・霊玉・名前の文字」「抜けば水気を放つ名刀・村雨」などのモチーフを借りた作品は枚挙にいとまない(→南総里見八犬伝を題材にした作品)。
また、『八犬伝』執筆時の馬琴のエピソードも、芥川龍之介『戯作三昧』などの創作の題材となっている。

なお、里見氏は実在の大名であるが、「八犬伝で有名な里見氏」と語られることがある。
『八犬伝』の持つ伝奇ロマンのイメージは安房地域をはじめとする里見家関連地の観光宣伝に資しているが、史実とフィクションが混同されることもある。

内容

長大な物語の内容は、南総里見家の勃興と伏姫・八房の因縁を説く発端部(伏姫物語)、関八州各地に生まれた八犬士たちの流転と集結の物語(犬士列伝)、里見家に仕えた八犬士が関東管領・滸我(古河)公方連合軍との戦争(関東大戦、対管領戦)を戦い大団円へ向かう部分に大きく分けられる。
抄訳本では親兵衛の京都物語や管領戦以降が省略されることが多い。

発端

結城合戦の落武者里見義実は、落ち延びた安房で、滝田城主神余光弘を殺した逆臣山下定包を討って城主となる。
義実は定包の妻玉梓の助命を一度は考えるが、金碗八郎に諌められてその言葉を翻し、玉梓は呪詛の言葉を残して斬首された。
時はくだり、里見領の飢饉に乗じて隣領館山の安西景連が攻めてきた。
落城を目前にした義実は飼犬八房に「景連の首を取ってきたら娘の伏姫を与える」と戯れを言うが、八房は一声吠えると敵陣に踊り込み、景連の首を持参して戻って来た。
義実は褒美として山海珍味や係の役人を与えるが八房は一切興味を示さず、ついに伏姫の寝所へ乱入する。
これを知っていきり立つ義実に、伏姫は「犬相手とは言え、君主たる者が一度口にした約束を違えてはいけない」と八房を伴い富山に入った。
伏姫は、八房に肉体の交わりを許さず読経の日々を過ごし、八房は経に耳を傾ける。
翌年、伏姫に懐妊のしるしがあらわれ、山中で出会った仙童から八房が玉梓の呪詛を負っていたこと、読経の功徳によりその怨念は解消されたものの、八房の気を受けて種子を宿したことが告げられる。
伏姫は懐妊を恥じて自害しようとしたが、おりしも富山に入った金碗大輔の銃弾を受けてしまう。
絶命を前に義実と大輔の前で伏姫は割腹し、胎内に犬の子がないことを証した。
その傷口から流れ出た白気は姫の数珠を空中に運び、仁義八行の文字が記された八つの大玉を飛散させる。
義実は後を追い自害しようとした大輔を留め、大輔は僧体となって、『犬』という字を崩し丶大(ちゅだい)を名乗り、八方に散った玉を求める旅に出るのだった。

犬士列伝

武蔵大塚村の犬塚信乃は、若くして死んだ母の遺言により、幼い頃から女子として育てられた。
ある日、村長である伯母夫婦の家にて信乃の飼い犬、与四郎が暴れ、管領家から賜った御教書を破損したとの訴えがあり(これは蟇六夫婦の罠であった)、責を取って父・番作は自害。
信乃は大塚家に引き取られ、その養女浜路の将来の婿とされる。
しかし伯母夫婦は、信乃が父から託された鎌倉公方家の宝刀村雨 (架空の刀)を奪い信乃を除くことを企んでいた。
蟇六夫婦は大塚家の下男・額蔵(犬川荘助)を信乃の監視にあてるが、ふとしたきっかけから信乃と額蔵は互いが同じ玉と痣を持っている事を知り、二人は密かに義兄弟の契りを結ぶ。
信乃18歳の夏、伯母夫婦は村雨丸をすりかえ、信乃を滸我(古河)の公方足利成氏の許に旅立たせた。
蟇六夫婦はこの間に浜路を陣代の側妾にしようとするが、信乃を慕う浜路は網乾左母二郎に騙されて攫われてしまう。
道中、網乾の持っている刀が本物の村雨丸と知った浜路はこれを取り返そうとし、逆に斬り殺されてしまう。
そこに異母兄である煉馬家旧臣犬山道節が現れ、網乾を切り捨てる。
浜路は本物の村雨丸を信乃に渡すよう道節に頼み、息を引き取る。

滸我にて成氏に謁見する事となった信乃だったが、村雨丸が贋物であった事から管領方の間者と疑われ、命を狙われる。
ついに芳流閣の屋根に追い詰められた信乃は必死に防戦するが、そこに現れた元獄舎番、犬飼現八と組み合ううちに、ともに利根川に転落。
下総行徳へと流れつき、犬田小文吾とその父である旅籠の主人古那屋文五兵衛に助けられた。
古那屋に匿われたある日、信乃は芳流閣での怪我が元で破傷風にかかってしまい、高熱で寝込んでしまう。
現八は武蔵志婆浦へと薬を求めて走っていった。
小文吾は仲間の喧嘩の仲裁、文五兵衛は荘官に呼ばれ、古那屋の留守を守るは小文吾の妹沼藺とその幼子大八のみ。
そこへ沼藺の夫、山林房八がお尋ね者となった信乃を捕らえようと現れる。
沼藺と押し問答となった房八は、弾みで大八の脇腹を蹴り上げてしまう。
襖を突き破り絶息する大八。
その先には息も絶え絶えな信乃。
これはとばかりに刀を抜いた房八だが、信乃を庇う沼藺を勢いで斬ってしまった。
そこに戻ってきた小文吾は、妹を斬られた光景を目の当たりにして房八を斬り殺す。
ひとまず信乃は奥部屋へと匿われ、房八の首を信乃と偽って荘官の使いへと差し出す。
帰ってきた文五兵衛・現八らは房八夫婦と大八の死を悲しむが、宿に居合わせた丶大の呪法により大八は息を吹き返す。
また、大八の左手から珠が転げ落ち、犬士の一人と判明する。
丶大から里見家との因縁を知らされた犬士たちは、主人殺しの廉で処刑されようとする荘助を救う為大塚村へと急ぐ。
一方大八は、丶大・祖母妙真らに連れられ安房に向かうが、途中神隠しに遭う。
大塚へと向かった三犬士は、磔にされ今にも処刑されようとしていた荘助をすんでの所で救う。
危地を脱し上野国に向かった四犬士は、道節による管領扇谷定正への仇討ちに遭遇する。
こうして上州荒芽山に五犬士が集結するが、管領家の軍勢が迫り犬士たちは離散する。

武蔵に逃れた小文吾は並四郎と言う男と出会い、一夜の宿を借りる。
その夜、小文吾は強盗に襲われたが、反対に斬り殺す。
夜が明け、強盗の姿を見るとそれは並四郎であった。
並四郎の妻、船虫は夫の狼藉を悲しみながらも、せめてもの侘びにと一節切の尺八を小文吾に渡す。
一度は受け取った小文吾であったが、この尺八は価値のあるものと思い、船虫の留守中にそっと戸棚へと返しておいた。
船虫の家を出た小文吾は、千葉家の眼代に突如取り押さえられる。
船虫から渡された尺八は、かつて失われた千葉家代々の家宝、名笛嵐山であり、船虫が「小文吾が盗んだものである」と申し出たのだ。
その場で持ち物を調べられたが、荷物の中に笛は無い。
小文吾は昨夜からの事を残らず打ち明け、笛も家から見つかった事で、疑いは晴れ、船虫が取り押さえられる。
眼代は事の釈明をと石浜城へ小文吾を招き、千葉家家老・馬加大記に引き合わせる。
実は大記は嵐山盗難の黒幕。
事が露見するのを恐れた大記により小文吾は城に軟禁される。
小文吾が城内で出会った女田楽師旦開野(犬坂毛野)は、嵐山盗難の一件により不当に殺された粟飯原胤度の遺児であり、一族の仇の一人・大記を対牛楼で討ち果たす。
混乱に乗じて二人は城を脱出するが、川を渡るうちに離れ離れとなる。
一方、諸国を経て下野国を訪れた現八は庚申山山中にて妖猫と対峙、現八は弓をもって妖猫の左目を射る。
逃げ去る妖猫を追ううち、麓の返璧(たまがえし)の里にて犬村角太郎とめぐり合う。
角太郎には妻、雛衣がいたが、雛衣の腹には父、犬村儀清の死以来、床を共にしていないにも拘らず、子を宿していた。
これを不義とみた角太郎は、雛衣を離縁、自らは返璧の庵に蟄居していた。
そこに角太郎の実父、偽赤岩一角が現れ、自らの目の怪我に効く妙薬として、孕み子の肝とその母の心臓とを要求する。
角太郎はこれを断ろうとするが、一角は「不義の子をかばって父を殺すのか」と恫喝、返事に窮した角太郎に対し、雛衣はその窮地を救うべく、またわが身の証を立てるため、腹に刃を立てる。
その腹から出てきたのは胎児ならぬ霊玉。
実は以前に雛衣が病に伏した際、誤って水と共に霊玉を飲んでしまっていたのだ。
霊玉は一角の変化を解き、かつて現八が左目を射た妖猫が姿を現す。
ここに至って自らの思い違いを知った角太郎は、現八と共に妖猫を退治する。
角太郎は名を大角と改め、犬士の一人に加わる。
甲斐国を訪れた信乃は猿石村村長の養女浜路姫を知る。
信乃は危機に陥るが、石和町の寺に犬士捜索の拠点を置いた丶大と道節により救われる。
この浜路は実は里見家の姫で、幼少時に大鷲に攫われた浜路姫であった。
越後小千谷にたどり着いた小文吾は、船虫に襲われたのを契機に荘助と再会。
領主による処刑の危機を脱した二人は信濃で毛野と邂逅して里見家との縁を伝えるが、毛野は残る仇・籠山逸東太への復讐を誓っていた。

武蔵穂北で現八と大角、信乃と道節は邂逅し、この地を拠点とした。
そのころ毛野は湯島天神で扇谷定正夫人蟹目前らの知遇を得て奸臣籠山逸東太の殺害を依頼される。
これを立ち聞きした道節は毛野の仇討ちに乗じ、穂北郷士たちとともに挙兵して定正の命を狙うが、蟹目前らの自害を知って兵を退く。
七犬士は、下総結城で丶大がおこなう結城合戦戦死者の法要に向かう。

そのころ、上総館山城主蟇田素藤は八百比丘尼妙椿の助力を得て里見家に反旗を翻した。
富山で刺客に襲われた老侯里見義実の前に、伏姫神に育てられた大八が犬江親兵衛と名乗り現れる。
親兵衛は素藤の乱を討ち、妙椿は退治されて本体(玉梓の怨念の宿った狸)をあらわす。
親兵衛は結城に向かい、ここに八犬士は集結する。
犬士たちはともに安房に赴き里見家に仕えた。

関東大戦と大団円

里見義成は朝廷への使者として犬江親兵衛を京都に遣わすが、親兵衛は管領細河政元に気に入られて抑留される。
親兵衛は京を騒がす虎を討ち、帰国の途に就く。
そのころ犬士たちと彼らが仕える里見家を恨む扇谷定正は、山内顕定・足利成氏らと結び、里見討伐軍を発していた。
行徳口・国府台・洲崎沖の三ヶ所で合戦が行われ、いずれも里見家の大勝利に終わった。
朝廷から停戦の勅使が訪れて和議が結ばれ、里見家は占領した諸城を返還した。
信乃は、捕虜となっていた成氏に村雨丸を献上し父子三代の宿願を遂げる。

八犬士は里見義成の八人の姫と結ばれ重臣となる。
時は流れ、犬士たちの痣や玉の文字は消え、奇瑞も失われた。
丶大は安房の四周に配する仏像の眼として数珠玉を返上させる。
里見家三代当主の義通が没すると、高齢になった犬士たちは子供に家督を譲り富山に籠った。
彼らは仙人となったことが示唆される。
里見家もやがて道を失って戦乱に明け暮れ、十代で滅ぶことになる。

回外剰筆

原典には、馬琴による小説仕立ての「あとがき」が置かれている。
馬琴が用いた参考史料の開示、里見氏の史実(当時の軍記物にもとづく)や安房の地理の解説のほか、著者の失明の事実が明かされ、筆記者お路への慰労の言葉が書かれている。

人名

南総里見八犬伝の登場人物参照

物品

八つの霊玉

仙翁(行者の翁)から伏姫に譲られた水晶の数珠。
108つの玉の内の8つの大玉で、「仁義礼智信忠孝悌」と現れていたが、八房が伏姫を恋い慕うようになってからは「如是畜生発菩提心」の8文字がひとつずつ浮かぶようになった。
伏姫の自害に伴って数珠が飛散する際にそれぞれの玉の文字が「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」と変わったものである。
残りの100個の小玉は繋ぎなおされて、丶大法師が数珠として常に携帯している。
八犬士同士の距離が近づくと感応しあってその存在を教え、肉体的な傷や病気の治癒を早める力を持っている。

村雨 (架空の刀)(村雨丸)

鎌倉公方足利家に伝わる宝刀で、殺気をもって抜き放てば刀身から水気が立ち上る。
八犬伝世界ではその特徴とともに広く知れ渡った刀である。
結城落城の際、公方家の近習であった大塚匠作から一子・番作に託され、番作はその死に際して子の犬塚信乃にこの刀を滸我公方成氏に献上することを託した。

地名

荒芽山(あらめやま)

『八犬伝』に登場する架空の山。
上野国に位置する。
音音の庵があり、五犬士の会同と離散の舞台となった。

地理的描写から荒船山に比定される。

五十子城(いさらごじょう)

『八犬伝』に登場する架空の城。
扇谷定正の本城で、武蔵国荏原郡伊皿子坂付近に位置するとされている。
犬塚信乃に攻め落とされ、関東大戦でも占領された。
城の名は伏姫の母五十子(いさらご)と同音である。

史実の上杉定正の居城であった五十子の戦い(埼玉県本庄市)は「いかこ(いかっこ、いかつこ、いらこ)じょう」と読み、所在地もまったく異なる。

国府台(こうのだい)

下総国府台 (市川市)。
八犬伝では関東大戦の際に合戦が行われた。

史実では、里見氏と北条氏の間でおよそ前後2度にわたる国府台合戦が行われ、いずれも里見方が敗れている。

富山(とやま)

安房随一の高峰として描かれる八犬伝世界の聖地。
発端、伏姫はこの山で自害し、大団円で犬士たちはこの山に消えた。

実在する富山 (千葉県)(南房総市)は「とみさん」と読む。
標高349mの山である。

館山城(安房)(たてやまじょう)

『八犬伝』では発端で安西景連の居城として、大団円では犬江親兵衛に与えられる城として登場する。
諸書でもしばしば混同されるが、蟇田素藤が居城とした「館山城」は上総国にあり、安西氏の旧城とは別である。

実際の館山藩(館山市)には、史実の里見氏が戦国時代末に本拠を移した。
現在、模擬天守は館山市立博物館分館となっている。

館山城(上総)(たてやまじょう)

『八犬伝』に登場する架空の城。
蟇田素藤の居城で、二度にわたる叛乱の舞台となった。
上総国夷隅郡にあり、上総広常の館のあとと設定されている。

穂北(ほきた)

『八犬伝』に登場する架空の荘園で、氷垣残三ら、結城合戦の参加者や豊島家の残党が自治的な支配をおこなっており、管領扇谷定正に戦いを挑む八犬士が拠点とした。

地理的描写からは保木間に比定される。

事件

結城合戦

『八犬伝』冒頭に配される合戦。
永享の乱で滅びた足利持氏の遺児・春王丸と安王丸を奉じた関東の諸将が、永享12年(1440年)結城城に拠って幕府に叛旗を翻した。
結城方は破れ、捕らえられた春王丸と安王丸も京都に連行される途中美濃大垣で殺害された。

『八犬伝』では、里見季基・義実親子、犬塚匠作・番作親子、井丹三、氷垣残三が、いずれも結城方で参戦している。
春王と安王の首は大塚番作によって刑場から奪取され、信濃に埋められている。
八犬士結集の場になったのも、結城合戦の死者を弔う法要の場であった。

関東大戦(対管領戦)

『八犬伝』における架空の合戦。
作中の文明15年(1483年)冬、関東管領(扇谷定正・山内顕定)・滸我公方(足利成氏)・三浦義同・千葉自胤の連合軍と里見家による戦争。
行徳口・国府台・洲崎沖の三ヶ所を戦場とするこの戦争の総称は原典中にはないが、研究者によって「関東大戦」「対(関東)管領戦」などと名づけられている。

概念

名詮自性

名前がそのものの本性をあらわすという意の、本来は仏教用語。
主要人物の名には、物語世界においてあらかじめ定められた宿命に関わるものがあり、その名の意味が解き明かされることで因果が成就したことを証明する。
たとえば、伏姫の「伏」は「人にして犬に従う」意をあらわし、親兵衛の両親である房八・沼藺(ぬい)夫婦の名は「八房・いぬ」を転倒させたものである。

役小角(えんのぎょうじゃ)

仁義八行の数珠を伏姫に授けた。

如是畜生発菩提心(にょぜちくしょうほつぼだいしん)

伏姫の数珠に「仁義礼智忠信孝悌」に代わって浮き出た文字。
八房に取り憑いた玉梓の浄霊とともに文字は元に戻る。
のち、蟇田素藤の乱(第二次)で、親兵衛の仁玉に撃たれた妙椿(実は妖狸)の屍骸の背にこの文字が現れた。

八犬士の「モデル」

「里見八犬士」は、もともと『合類大節用集』(槇島昭武編、1717年刊行)に「尼子十勇士」などとともに掲載された武士の名前のリストである(犬山道節・犬塚信濃・犬田豊後・犬坂上野・犬飼源八・犬川荘助・犬江新兵衛・犬村大学)。
かれらの活動時期や事跡はもとより、実在したかどうかも明らかではない。
馬琴は、実在したかもしれない8人の武士の物語ではなく、彼らの名を借りた伝奇小説(稗史)をつくると言明している。

なお、史実の里見家最後の当主であった館山藩里見忠義は、江戸幕府によって伯耆国に事実上配流され(倉吉藩)、その地で没した。
このとき忠義に殉死した8人の家臣があり、戒名に共通して「賢」の字が入ることから八賢士と称される。
彼らの墓は鳥取県倉吉市の大岳院にあり、また倉吉から分骨した墓が館山城の麓に建てられている。
この八賢士を八犬士のモデルに求める説もある。

漢籍と中国白話小説

『八犬伝』には博覧強記をうたわれた馬琴の漢学教養や中国白話小説への造詣が、ときに衒学的と評されるほど引用されたり、物語構成に組み込まれたりしている。

作中では折に触れて引用される漢籍は、フィクションである「稗史」の世界に奥行きを持たせている。
第一回において、白竜の昇天を見た里見義実が古今の典籍を引用して竜を解説するくだり(研究者によって「龍学」と呼称される)はよく知られている。

『八犬伝』にもっとも大きな影響を与えたのは『水滸伝』である。
馬琴は『高尾船字文』『傾城水滸伝』など翻案作品を執筆しただけでなく、原典の翻訳『新編水滸画伝』の刊行に関わったほか、金聖嘆による七十回本を批判して百二十回本を正統とする批評を行うなど、『水滸伝』の精読者であった。
このほか、『三国志演義』が多く参照されている。
とくに関東大戦の描写では顕著であり、洲崎沖海戦は赤壁の戦いを焼き直したものである。
また、『封神演義』からの影響を指摘する説もある。

軍記物・地誌

馬琴は「回外剰筆」で、南総里見家を記した「史書」(軍記物)や地誌として『里見軍記』『里見九代記』、『房総志料』などを挙げている。
なお近年の歴史学研究により、初期里見氏の実際の歴史はこれら軍記物に語られてきた姿と大きく異なることが指摘されている。

越後小千谷の描写には鈴木牧之『北越雪譜』の原稿が参照されており、同地で行われる牛の角突きが作中に取り込まれている。

馬琴の「隠微」

馬琴は、みずからの創作技法として「稗史七則」をまとめ、『八犬伝』に付言として記している。
このうち「隠微」は、物語には文外に「深意」があるとするものである。
「百年の後知音を俟て是を悟らしめんとす」という馬琴の言葉には、多くの読者や研究者が魅了されてきた。

『八犬伝』の物語構造や人物配置には仏教説話・日本神話、あるいは民間信仰などのモチーフが複合的に投影されていると解釈する研究者もいる。
「隠された出典」と解釈されたものに以下のようなものがあげられる。

八字文殊曼荼羅

高田衛が提唱。
獅子(=八房)に騎乗する文殊菩薩(=伏姫)のイメージが投影されているとする。
この説によれば「八犬士のうち二人が女装して登場する理由」は、文殊菩薩に従う八大童子のうち二人が比丘(女児)であることに求められ、「犬士の痣が牡丹である理由」は牡丹の匂いが獅子(=八房)の力を抑える霊力があることで説明される。
また、後半に現れる政木大全が「準犬士」として遇されるのは文殊菩薩の従者である善財童子が投影されているためとされている。

北斗七星

『八犬伝』刊行開始前に出された刊行予告から、一時馬琴には『合類大節用集』の記述を無視してまで物語を「七犬伝」とする構想があったという。
高田衛は八犬士に北斗七星のイメージが投影されているとも指摘している。
七星の一つミザールにある「アルコル」を8番目の星と見なすことにより齟齬をなくしているが、これによって「八犬士のうち一人が子供として登場する理由」も説明できるとする。

徳田武らによって『八犬伝』に執筆当時の社会情勢への馬琴の批評を見出す解釈も存在する。
親兵衛の造形には打ちこわしの際に現れたという大童子の姿が重ねられており、また親兵衛の京都物語に登場する足利義政批判に大御所徳川家斉批判が、虎退治の物語には大塩平八郎の乱(1837年)の隠喩があるともされる。
また、小谷野敦は里見の領国を日本のミニチュアととらえ、領民を組織して行われた里見家の軍事訓練の描写などに江戸時代後期の海防論との関係を見出している。

研究と紹介

『八犬伝』は江戸時代の戯作文芸の代表作の一つであり、大衆文化への影響力も大きなものであったが、江戸読本への文学的評価の低さもあいまって、長らく文学研究の主要な対象とはされてこなかった。

1980年に『八犬伝の世界』を上梓した高田衛は、副題に「伝奇ロマンの復権」を掲げ、「典拠」に関する大胆な解釈を打ち出した。
これに対しては実証性を問う徳田武との間で論争が行われた。
近年は、文学分野での学術研究も進められ、江戸思想史研究の資料として利用されるようにもなっている。
八犬伝の研究者には以下のような人物がいる。

小池藤五郎
濱田啓介
川村二郎
高田衛
前田愛 (文芸評論家)
信多純一
諏訪春雄
徳田武
小谷野敦
高木元
櫻井進
板坂則子

海外への紹介

『八犬伝』原典の他言語への翻訳は、ドナルド・キーンによる部分英訳が知られており、日本文学研究者による私的な翻訳の試みは行われているものの、完訳・刊行は行われていない。

海外では、1983年の映画『里見八犬伝 (1983年の映画)』やアニメ『THE八犬伝』といった派生作品を通じて八犬伝の名が知られている。

施設・名所

富山 (千葉県)(千葉県南房総市)
「伏姫籠窟」「犬塚」などがあり観光地となっている。
また「里見八犬士終焉の地」の標柱もある。

伏姫と八房の銅像(千葉県南房総市)
富山最寄りの岩井駅前に建っている。

館山市立博物館分館(千葉県館山市)
館山城模擬天守に所在する。
浮世絵など、八犬伝関連の資料を収集している。

伏姫桜(千葉県市川市)
国府台に程近い真間山弘法寺にある樹齢400年の枝垂桜は、『八犬伝』に因み「伏姫桜」と称されている。

行事・祭事

南総里見まつり(千葉県館山市)
史実里見氏の顕彰が主となっているが、仮想パレードには伏姫や八犬士も登場する。

倉吉里見時代行列(鳥取県倉吉市)
里見忠義と八賢士の墓所大岳院がある倉吉市打吹玉川で、9月第一日曜日開催。

せきがね里見まつり(鳥取県倉吉市)
関金温泉で9月第一日曜日開催。

南総里見八犬伝を題材にした作品

人気作品であった『八犬伝』は、刊行中からすでに歌舞伎の演目になり、抄録や翻案作品、亜流作品を生み出した。
現在も、日本で生まれたファンタジーの古典として多くの作品に参照されており、登場人物の名やモチーフの借用はしばしば行われている。
また、現代と価値観の異なる時代に書かれた古典で、しかも長大であることもあり、『八犬伝』の名を冠していても原作から自由に新たな世界を創作している翻案作品が多い。
また、原作を志向した作品であってもさまざまなレベルの再解釈が行われ、現代の作品として蘇生されている。
以下の外部サイトでも関連作品の列挙と解説が行われているので、参照されたい。

[English Translation]