月遅れ (Tsuki-okure)

月遅れ(つきおくれ)とは、日本の年中行事の日程を太陰太陽暦(旧暦の天保暦、寛政暦、宝暦暦、貞享暦など)の日付からグレゴリオ暦(新暦)上で1か月遅らせて行うこと。
および、新暦から1か月遅らせた暦のこと。
新暦と旧暦の中間であるということで、中暦ともいう。

以下の理由により、新暦(グレゴリオ暦)と旧暦(太陰太陽暦)では必ず1か月程度ずれる。
これは暦法の違いが原因なのでなく、同一事象(春分)をどの月にするかという決まりが違っているからである。

新暦(グレゴリオ暦)では、春分は、3月である。

西洋では、古代には現在の3月ごろを年初としていた(冬には暦がなかった)が、後に冬至の時期を年初とするようになった(ローマ暦を参照)。
キリスト教では325年の第1ニカイア公会議において、春分を3月(3月21日)と定めた。
グレゴリオ暦にもそれが踏襲されている。

旧暦(太陰太陽暦)では、春分は、2月である。

東洋では、古代には冬至のころを年初としていたが、後に立春のころを年初とする(正確には雨水を含む月を正月(1月)とする)ようになった。
清代で採用した時憲暦では二十四節気の間隔が変動する定気法を採用したため、嘉慶 (中国)年間より春分を含む月を2月(如月)と呼ぶように規則が変更された。
日本の天保暦もそれに倣った。

明治6年(1873年)1月1日の改暦後、旧暦時代の日付をそのまま新暦に持ち込んで行事をしようとすると、前述のとおり絶対に1ヶ月程度ずれるので、鯉幟や七夕のように季節感の合わないものが出てきた。

鯉幟は、雨の中でもコイが天に昇って竜になることにあやかって、江戸時代に武士の子弟が出世できることを願い、梅雨の季節である当時の暦の5月 (旧暦)に、掲げるものであった。
しかし、新暦の5月は雨のシーズンではない。

元来、旧暦7月7日 (旧暦)の七夕は、秋の季語であって、旧暦では梅雨明け後であった。
真夏が過ぎたお盆(旧暦7月15日 (旧暦))直前の行事だった。
しかし、新暦の7月7日では梅雨の真っただ中になってしまう。

前述の理由で、グレゴリオ暦と天保暦との日付の差は平均してほぼ1か月である(ただし、実際には日付の差は年によって増減し、その変動幅も約1か月ある)。
たとえば、旧暦の月数を1つプラスすれば、両者がおおよそ一致するはずであろう。
そこで、日付はグレゴリオ暦のまま、行事の日程のほうを1か月遅らせて行うようになった。
これを月遅れという。

旧暦7月15日 (旧暦)のお盆は、ほとんどの地方で月遅れの8月15日に行われ、この時期を夏休み(お盆休み)としている会社なども多い。
また、旧暦3月3日 (旧暦)の雛祭りなども、多くの地方で月遅れで行われている。

なお、月遅れと天保暦は混同されやすく、月遅れで行われる行事のことを「旧○○」(旧盆など)と呼ぶことも多いが、月遅れと天保暦の日時は近似であるが同一日ではない。

[English Translation]