楢柴肩衝 (Narashiba Katatsuki)

楢柴肩衝とは、新田肩衝・初花肩衝と共に天下三肩衝と呼ばれた茶器の1つ。
(肩衝とは、肩の部分が角ばっている茶入のこと)

千利休の高弟・山上宗二が天下一品の壷と絶賛したという。

釉色が濃いアメ色で、これを 「恋」 にかけて万葉集の「御狩する狩場の小野の楢柴の汝はまさらで恋ぞまされる」の歌に因みこの名になったとされる。

もともとは足利義政の所有物であったが、彼の死後は持ち主を転々とし、堺の商人を通じて、博多の島井宗室へ渡った。
織田信長も、この名物を欲しがり、上洛するように宗室へ命じたが、本能寺の変で死亡。

その後は、大友宗麟から大金を出すので譲って欲しいと再三要請があったが、宗室はこれを断り続けた。
のち、大友氏の衰退と逆に博多のある筑前国で勢力を伸ばしてきた秋月種実が、この名物を欲した為、譲る事となった。
この際、秋月氏から大豆百俵が送られているが、楢柴の価値は約3000貫、現在の価値でいえば数億円以上ともされている。
宗室ら博多商人が武力行使をちらつかせられ、半ば脅迫に近い形で奪われたのは歴然としている。
しかし、種実が手にしていた期間も長くは無く、九州征伐の際、島津氏に属していた秋月氏から、降伏の証として、豊臣秀吉へと献上された。
天下三肩衝は全て秀吉の物となった。
後に秀吉臨終の際に、徳川家康に授けられ徳川将軍家の所有となったが、明暦3年(1657年)の明暦の大火で消失してしまったという。

[English Translation]