浮世絵類考 (Ukiyo-e Ruiko (Various Thoughts on Ukiyo-e))

浮世絵類考(うきよえるいこう)は、浮世絵師の伝記、経歴をあつめたもので美術史の基礎史料である。
寛政年間に大田南畝が著した原本に多くの考証家らが加筆を重ねて成立した。

大田南畝が寛政年間に31人の浮世絵師の考証を著した。
これに笹屋新七(邦教)が系譜を加え、山東京伝が追考を加えた。
さらに写本として広まる間に、式亭三馬などが加筆を行っていった。
1844年に斎藤月岑が補記し『増補浮世絵類考』とした(86人収録)。
月岑には刊行の意図があったというが、果せなかった。
その後も、1868年竜田舎秋錦により『新増補浮世絵類考』が編まれた(127人収録)。

活字本は温知叢書(1891年)、岩波文庫(1941年)など。

成立経過が錯綜しており、写本の中には記事が混乱しているものもあるが、唯一の信頼すべき浮世絵師伝集で、浮世絵研究の出発点をなす。

写楽の記述
例示として岩波文庫版(校訂仲田勝之助)より東洲斎写楽の項を引用する。

写楽斎 【曳】東洲斎写楽
【新】俗称斎藤十郎兵衛 (阿波)、八丁堀に住す。
阿州侯の能役者也。

これは歌舞妓役者の似顔をうつせしが、あまり真を画かんとてあらぬさまにかきなさせし故、長く世に行はれず一両年に而止ム。

【曳】しかしながら筆力雅趣ありて賞すべし。

【三】三馬按、写楽号東周斎、江戸八町堀に住す、はつか半年余行はるゝ而巳。
(以下略)

大田南畝が書いたオリジナルに近いのが「これは歌舞妓役者の・・・一両年に而止ム。」の部分である。
【曳】は加藤曳尾庵の加筆、【新】は『新増補浮世絵類考』の記述(斎藤月岑の加筆に基づく)、【三】は式亭三馬の加筆。
これ以外にも写本によって異なる文が加筆されている。

[English Translation]