焼酎 (Shochu)

焼酎(しょうちゅう)とは酒類のうち蒸留酒の一種である。

日本国内では酒税法によって種別基準が定められており、連続蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられている(2006年5月1日酒税法改正による変更)。
焼酎への酒税は政策的に安くされていた。
また、大衆酒として広く飲用されてきた歴史がある。

南九州を中心に醸造が盛んである。

また、長崎県壱岐島や伊豆諸島など島嶼でも焼酎が醸造されている。

定義

酒税法では「アルコール含有物を蒸留した酒類」のうち、以下の条件を満たす酒類を焼酎としている。

発芽した穀類を使用していない

シラカンバの炭などで濾過していない

蒸留時に別途定められている物品以外を添加しない

アルコール度数が連続式で36度未満、単式で45度以下を下回る

歴史

日本国内では文献記録で確認できる限り、少なくとも16世紀頃から焼酎が造られていたと見られている。
例えば1546年に薩摩国に上陸したポルトガルの商人ジョルジェ・アルバレス(フランシスコ・ザビエルにヤジロウを紹介し訪日を促した人物)は、当時の日本人が米から作る蒸留酒(原文ではorraquaオラーカアラビア語のアラクに由来するポルトガル語)を常飲していたことを記録に残している。

また、鹿児島県伊佐市の郡山八幡神社 (伊佐市)には、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の落書きが伝わっており、焼酎の飲用について日本国内に残存する最も古い文献となっている。

その後、酒税法で「新式焼酎」にあたる「焼酎甲類」と、在来焼酎にあたる「焼酎乙類」の区分が制定された。

連続蒸留焼酎(焼酎甲類)

一般に糖蜜等を原料とした発酵液をもとに、連続蒸留器で蒸留して高純度エチルアルコールを生成し、これに加水したものである。

日本の税法上はアルコール度数36%未満。
製法上、何度も蒸留を行うため、アルコール (食品)純度が高くなり、原料本来の風味が失われるため、味覚の個性は薄い。
また、甲類の範囲にてブレンド、熟成、蒸留回数、蒸留機、加水種類、原料、等で変化をつけることによって、ある程度の特徴的な風味を持つものも存在する。

低コストでの大量生産に適するため、大手企業によって量産され、それらの販売シェアが高い状況となっている。
手を加えて飲まれることもあり、チューハイなどのベースや、リキュールの材料、或いはカクテル作りの際に用いられたり、ジン (蒸留酒)・ウォッカなどの代用品として使用されることもある。
梅酒などの果実酒づくりに用いられる「ホワイトリカー」もこの甲類焼酎である。
眞露に代表される甘味の強い大韓民国焼酎が盛んに輸入され、これも日本の税法上では焼酎甲類に区分されている。

税法上では「連続式蒸留焼酎」表記の代わりに「ホワイトリカー(1)」と表記することも認められる。

単式蒸留焼酎(焼酎乙類)

米、ムギなどを原料とし、単式蒸留器で蒸留して作る焼酎である。

日本の税法上はアルコール度数45%以下。
基本的に1回のみの蒸留のため、原料本来の風味やうま味成分が生きていることが特徴である。
南九州地方が特産地として有名。

製造法の流れは以下の通りである。

元の原材料(多くの場合は米ないしは麦)へこうじ菌を生やし、麹をつくる。

麹をタンクや甕(かめ)で発酵させ、もろみを作る(一次発酵)。

一次発酵させたもろみの中へ原材料を投入させ、発酵させる(二次発酵)。
このとき投入した原材料が焼酎の主要原材料として表記されることになる。
二次発酵としてサツマイモを投入すれば「芋焼酎」となる。

アルコールが生成された発酵液を蒸留する。

産地の南九州では、お湯割りで飲まれる事が多い。
焼酎のお湯割りは、酒杯に先に湯を入れ、後から焼酎を静かに加えることによって、対流が発生し自然に混ざる状態となる。
こだわる人は先に焼酎と水を合わせておき、一日もしくは数日おいて馴染ませたものを黒ぢょか等の酒器にて燗をして飲むこともある。

酒税法が制定された1940年以来、単式蒸留焼酎(乙種)は酒税の保全や過当競争防止等の理由にてムギ・米・サツマイモ・ソバの主要4品種については新規製造免許を認めない方針によって、製造の新規参入ができない状態が長らく続いていたが、聖域なき構造改革の一環として国税庁が2005年に規制緩和の見解を示し、一部地域・条件付きながら2006年以降に新規免許が認められる事となった。

税法上では「単式蒸留焼酎」表記の代わりに「焼酎乙類」「ホワイトリカー(2)」と表記することも認められている。
また、後述するように、焼酎甲類に対して劣るという誤解を避けるために「本格焼酎」という呼称も用いられる。

未納税移出

単式蒸留焼酎の世界では未納税移出、いわゆる「桶買い」「桶売り」という制度がよく使われている。
これは同一の酒類製造免許をもつ事業者同士で生産した酒類をやり取りする場合には酒税がかからないという制度を利用したもので、清酒の世界でもよく行われている。
単式蒸留焼酎業界では大分県の大手麦焼酎メーカーが鹿児島や宮崎の芋焼酎メーカーの閑散期に麦焼酎の生産を委託することが多い。

この制度があるため、単式蒸留焼酎製造メーカーの統計を見ると生産量と出荷量と実際にそのメーカーのブランドで販売された量が異なっていることがある。
このことから国税庁の資料では出荷量や生産量ではなく、あくまで税金がかかる出荷をした場合の数量、すなわち課税移出数量で統計を管理している。
マスメディアなどで「出荷量」という場合には未納税移出数量を含んだ「実出荷量」と未納税移出数量を除いた「課税移出数量」を混同して報道しているケースがあるので注意が必要である。

混和焼酎

甲類と乙類を混和したものである。
甲類と乙類のどちらが多いかで呼び名が異なる。
乙類を50%以上95%未満混和したものを「乙甲混和焼酎」、乙類を5%以上50%未満混和したものを「甲乙混和焼酎」と呼ぶ。

以前は本格焼酎と紛らわしい表示がされたり、混和率などの情報が表示されなかった商品もあったが、業界内で混和焼酎の表示に関する自主基準を設けて、2005年(平成17年)1月1日から実施している。

乙甲混和焼酎

乙類100%では匂いが強いなどの理由で飲みにくいと敬遠されることがあるため、これらを和らげるために用いられる。
飲みやすさへの志向が強い。

甲乙混和焼酎

安価な甲類の利点を活かしながら、乙類の風味を加えることで安価で風味のある製品を作ることができる。
価格への志向が強い。

その他の焼酎

上記の焼酎のほか、近年は日本各地で様々な原料を利用した焼酎が造られている。

一般的な主原料(糖蜜、麦などの穀類)以外を主原料に用いた甲類焼酎。

乙類焼酎で米こうじか麦こうじを発酵に利用し、主原料のみ独自の原料を用いたもの。
そば焼酎はこの中でも抜きん出て成功した例と言える。

一般的な既存の甲類・乙類焼酎または混和焼酎に、独自原料の果汁・エキス類を混和した、リキュールの一種とも言うべきもの(柑橘類焼酎、シソ焼酎、コンブ焼酎、トマト焼酎など)。

乙類の種類

焼酎乙類は一次発酵・二次発酵を経てつくられたもろみを蒸留して製造されるものが主流をしめており、粕取り焼酎は1000klに満たない。
以下のような種類がある。

米焼酎

日本酒同様、米を原料とする。
味はやや濃厚。

主要生産地は熊本県南部の人吉盆地(人吉・球磨地方)で、28の蔵元がひしめく。
人吉盆地で生産される米焼酎は特に「球磨焼酎」とよばれ、世界貿易機関の知的所有権の貿易関連の側面に関する協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。
また、2006年には地域団体商標として登録されている。
香りや味わいは日本酒に近くフルーティで、減圧蒸留の普及もあって初心者にも受け入れやすい焼酎である。

この他、日本酒の名産地(秋田県、新潟県等)でも米焼酎が生産されている。

麦焼酎

もともと長崎県壱岐で生産され始めたのが最初である。
「壱岐焼酎」は世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。
壱岐焼酎は米麹に麦を掛け合わせている。

麦焼酎は1960年代まで焼酎の中ではメジャーな存在ではなかったが、東京農業大学の柳田藤治によってイオン交換を麦焼酎へ応用する手法が開発され、宮崎県の柳田酒造によって実際の使用方法が確立すると多くの麦焼酎メーカーがイオン交換濾過法を導入することとなった。

その後、1960年代後半から大分県で生産されている麦麹に麦を掛け合わせる麦焼酎が日本各地で注目を浴び、現在では大分県も麦焼酎の一大産地となっている。
なお、「大分麦焼酎」は地域団体商標として登録されている。

芋焼酎

江戸時代から南九州で広く栽培されているサツマイモを原料とした焼酎。
鹿児島県や宮崎県南部で広く飲まれている。
味はかなり濃厚で、しばしば独特の臭みがあるため、地元以外では好き嫌いが分かれるが、近年は匂いを抑えたものも作られている。
使用される麹はほとんどが米麹。
サツマイモ100%焼酎は製造されたことがなかったが、1997年に国分酒造協業組合が日本で初めてとなるサツマイモ100%焼酎を発売したことで、芋麹も一般化、現在では多くのメーカーがサツマイモ100%焼酎を発売している。

主産地は鹿児島県と宮崎県南部。
他の産地として、薩摩出身の流人である丹宗右衛門が製法を持ち込んだ八丈島などが挙げられる。
鹿児島で生産される「薩摩焼酎」は、世界貿易機関のTRIPS協定に基づく産地表示の保護指定を受けている。

黒糖焼酎

奄美諸島では江戸時代から第二次世界大戦以前まで、泡盛や黒糖酒(黒砂糖原料の蒸留酒)が製造されていた。
だが、戦間期から戦後のアメリカ占領時代にかけ、米不足で泡盛の原料に事欠く一方、黒砂糖は日本本土に移出できず余剰だったことから黒糖酒が多く作られるようになった。

1953年、奄美諸島の日本返還に伴い日本の税法を適用するにあたり、黒糖酒は酒税法上「焼酎」として扱われず税率が高いことから、「焼酎」扱いを望む島民の要望もあり、取り扱いに関して議論がなされた。
当時の大蔵省は奄美諸島の振興策の一環として、米こうじ使用を条件に、熊本国税局大島税務署の管轄区域(奄美諸島)に限って黒糖原料の焼酎製造を特認した。

以後、黒糖焼酎は奄美諸島でしか製造できない特産品となって現在に至っている。
口当たりは比較的柔らかく、癖が少ない。
原料から想像されるほどに甘味は強くない。

現在、奄美諸島では泡盛は製造されておらず、黒糖酒は奄美諸島全域で製造されている。

小笠原諸島において、日本領土になった明治時代初期からサトウキビ栽培によって製糖業が盛んとなった。
その過程で生じた副産物を発酵・蒸留した製法で、焼酎に類似する「糖酎」「泡酒」「蜜酒」と呼ばれた酒が戦前に醸造されていた。
戦中の島民疎開により途絶えていたが、1989年(平成元年)になって地域おこしの一環として小笠原村の役場・農業協同組合・商工会によってこれを扱う企業が設立され、その製法を模したラム酒が製造されている。
、税法上はラム酒(スピリッツ、もしくはリキュール類)の扱いとなっている。

最近では、焼酎や泡盛のルーツと言われるタイでもきび南蛮を始めとする黒糖焼酎が発売され話題となっている。

そば焼酎

ソバを主原料とする焼酎。
発祥は新しく、1973年、宮崎県五ヶ瀬町の雲海酒造が、山間部での特産品であるソバを原料に取り上げ新たに開発した。
以後各地の焼酎メーカーで、米・麦との混和タイプも含めて広く作られるようになった。
味わいは麦焼酎より更に軽く、癖が少ない。
そば屋においてそばをゆでたそば湯で割ったそば焼酎を提供している事例も多く見られる。
ただし、食物アレルギーを持つ人はアレルギー症状が出る可能性があるので注意を要する。

泡盛

沖縄県特産の蒸留酒である泡盛は米を原料としており、その製法は一般的な焼酎と差異があるものの、税法上は焼酎乙類の範疇に入れられている。

法制上、泡盛自体は日本全国で製造することができるが、「琉球泡盛」という表示は世界貿易機関のTRIPS協定に基づいて沖縄県産の物のみに認められている。

粕取り焼酎

もろみ取り焼酎とは別の製法で、清酒かす(日本酒の酒粕)を蒸留して造られる「粕取り焼酎」と呼ばれる焼酎がある。
粕取り焼酎は九州北部を中心に発達し、全国の清酒蔵で製造されている。
江戸時代の本草書『本朝食鑑』に、「焼酒は新酒の粕を蒸籠で蒸留して取る」とあるように、清酒が醸造される地域で焼酎といえば粕取り焼酎のことであった。
新しくできた酒粕をそのまま蒸留する方法と、籾殻(もみがら)を混ぜて通気性を確保してから蒸留する方法があり、前者は吟醸粕取焼酎、後者を正調粕取焼酎と呼んで区別している。

貯蔵した酒粕を蒸留し早苗饗(さなぶり)という田植え後のお祭りで飲んだことから、別名「早苗響焼酎」とも呼ばれる。
蒸留した後の粕は田の肥料として使われていた。

太平洋戦争後、カストリと混同されたこと、独特の香りが時代の嗜好に合わなかったことなどから需要が低迷し粕取り焼酎の製造から撤退する蔵が相次いだ。
また、かつては福岡県内を中心に粕取り焼酎専業の蔵も多くあったが、現在では米焼酎の製造を行うなど、専業蔵は消滅している。
しかし、昨今の焼酎ブームにより、日本酒製造メーカーが粕取り焼酎に再び進出するケースが増えている。

梅酒をつける際にベースとなるアルコールやみりんの主原料としても使われた他、日本酒の仕上げ工程において中途で発酵を止め、防腐や辛口に仕上げる目的で用いられる「柱焼酎」として使われる場合も多かった。
また、外傷の消毒薬としても用いられた。

カストリ

本来の粕取り焼酎とはまったく別な、粗悪焼酎に対する俗称である。

第二次大戦後の社会混乱期、酒不足の世相の中で粗悪な密造焼酎が出回った。
原料・出所がまったく不明、甚だしい例では人体に有毒なメチルアルコールを水で薄めたものまで売られる始末で、これら悪酔い確実な代物が俗に「カストリ」と総称されたため、一般にも「カストリ=粗悪な蒸留酒」というイメージが定着した。
その影響で、決して粗悪でない本来の粕取り焼酎まで誤解によってイメージダウンした時期がある。
ここから派生した戦後の混乱期を象徴する表現として、「カストリ雑誌」という言葉もあった。

「本格焼酎」とは

戦後1949年の酒税法で「甲類・乙類」の分類呼称が定められたが、通常甲乙の称は等級や順位でも使われる表現であるため、ややもすれば「乙類」が「甲類」に劣ると誤解されかねなかった。
これを危惧した江夏順吉(当時の霧島酒造社長)が1957年に九州旧式焼酎協議会において「本格焼酎」という呼称を提唱、1971年(昭和46年)12月10日に「酒税の保全及び酒類業組合等に関する法律施行規則」(昭和28年大蔵省令第11号)が一部改正され「本格しようちゆう」と呼称・表記することが可能となった。
(2008年12月現在、法令の条文上では「本格しようちゆう」のみが使用されており漢字の「本格焼酎」の登場例はないが、以下業界での慣用に倣って本節では後者を用いる。)

しかし、「本格焼酎」の呼称を用いる基準が必ずしも明確でなかったことから議論が生じ、その結果2002年11月1日に前述の省令の一部改正により基準が強化され、以下に掲げるアルコール含有物を蒸留したものでなければ本格焼酎と名乗ることはできなくなった。
なお、単に「焼酎乙類」「単式蒸留焼酎」と表示するのであれば材料は制約されない。

穀類又はいも類、これらのこうじ及び水を原料として発酵させたもの

穀類のこうじ及び水を原料として発酵させたもの

清酒かす及び水を原料として発酵させたもの、清酒かす、米、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの又は清酒かす

砂糖(政令に掲げるものに限る)、米こうじ及び水を原料として発酵させたもの(黒糖焼酎)。

穀類又はいも類、これらのこうじ、水及び国税庁長官の指定する物品を原料として発酵させたもの(その原料中国税庁長官の指定する物品の重量の合計が穀類及びいも類及びこれらのこうじの重量を超えないものに限る)

本格焼酎ブーム

日本では、2003年頃から焼酎乙類を対象とする「本格焼酎ブーム」が起き、同年には焼酎類全体の出荷量が日本酒の出荷量を約50年ぶりに上回り、2004年には売上高もピークを迎えた。
ブームに伴って、本格焼酎を専門に扱う焼酎バーも登場している。

ブームの影響によって、材料や製法にこだわった焼酎も盛んに市場へと送り出されていた。
鹿児島県で本格焼酎は1500円前後の商品が消費の中心であるが、より美味しい焼酎を望むニーズと、作り手のこだわりによって高価格で本格志向である味の焼酎も登場した。
しかし、少なからぬ弊害も生じた。
ブームのピーク時には芋焼酎の原料となるサツマイモが市場に不足する深刻な問題が起きたほか、一部銘柄ではプレミアがつき、一本数万円などという値段が付けられるようになり、森伊蔵については偽物が出回る事件にまで発展した。

日本銀行鹿児島支店が2008年2月に公表した、今回の焼酎ブームについてまとめたリポートでは「今回のブームは終焉した」と指摘、「銘柄選別の時代に入った」と結論付けた。

[English Translation]