玉川遠州流 (Tamagawa Enshu-ryu School (A school of Tea and Green Tea Ceremony))

玉川遠州流(たまがわえんしゅうりゅう、ぎょくせん-)は茶道および煎茶道の流派。
玉川流とも。

歴史
初代大森漸斎は京都の人で、若い頃は剣術を好んでしたが、後に小堀遠州の門に入る。
「玉川」は霊元天皇に竹二重切花入を献上した際に賜った号である。
2代杖信は閑院宮の茶頭を務め、以降公家との関わりが強かったが、3代有斐の亡きあと嗣子の礼座が早世したため断絶する。

およそ30年の空白期間を経て、3代有斐より皆伝を受けた閑院宮美仁親王の意により橘正之が大森家を復興し4代宗震となった。
橘正之は花山院家の家司で従五位下に叙せられていたが、美仁親王の家臣である南部主悦を通して伝を受けた。
もともと2代杖信の弟子で西勝寺の皆乗院公道が秋田に茶道を普及していた縁があり、宗震は4回にわたって秋田を訪れ伝道に携わり、それ以来秋田を中心に東北地方に広まっている。

5代宗龍のとき明治維新を迎え、東京に移って有栖川宮の茶頭を務めた。
宗龍は明治19年(1886年)に玉川遠州流と称し、伝来の法をもとにして玉川遠州流煎茶法を完成させた。
6代岑尾は5代宗龍の娘で、京都で高等女学校の英語教師をしていたが、晩年になって茶道の伝道に努めた。
6代岑尾のあとは、弟子の中野賢子(大森柳庵)の夫が家元を継ぎ7代宗夢となった。

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