菅原伝授手習鑑 (Sugawara Denju Tenarai Kagami)

『菅原伝授手習鑑』(すがわら でんじゅ てならい かがみ、旧字体:傳授)は、義太夫節、またそれに合せて演じられる人形浄瑠璃と歌舞伎の演目。
平安時代の菅原道真失脚事件と彼の周囲の人々の生き様を描く。

今日でも四段目を中心によく上演される人気の演目。
歌舞伎では四段目の一部『寺子屋』(てらこや)が独立して上演されることが特に多く、上演回数で群を抜く代表的な演目となっている。

題材となった事件

平安時代の菅原道真失脚事件(昌泰の変)。

天神伝説とそれに関連する民間信仰(天神信仰)。

本件の構想当時にあった、大坂での三つ子誕生の話題。

これらをもとに長大な作品が創作された。
また、先行作の『天神記』を下敷きとしている。

先行する作品

『天神記』 近松門左衛門作。
正徳 (日本)4年(1714年)

概要

学問の神として広く崇敬を受けていた天神様の菅原道真としての姿を見せたこと、また三つ子を貴族に仕える舎人として配置し庶民にも政治の混乱が及ぶ様を描いたこと、そして劇的な展開を備えた本作は大きな評判を呼び、義太夫狂言の人気を大いに高めた。
後世『義経千本桜』『仮名手本忠臣蔵』と共に義太夫狂言の三大名作と評価された作品のうちの最初のもの。

作者・初演

作者: 竹田出雲・三好松洛・並木宗輔の合作。

世界 (曖昧さ回避): 王朝物
上方での初演
人形浄瑠璃: 延享三年八月(1746年9月)、大坂・竹本座
歌舞伎: 延享三年九月(1746年10月)、京都・中村喜世三郎座
江戸での初演
人形浄瑠璃: 延享四年二月(1747年3月)、堺町・肥前座
歌舞伎: 延享四年五月(1747年6月)、堺町・中村座

初演は大当たりで、一年以内に上方と江戸の双方で人形浄瑠璃と歌舞伎の両方が初演されるという、当時としては驚異的な記録となった。
江戸中村座では8ヵ月にわたる長期興行となっている。

登場人物

歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』の登場人物は以下の通り:

菅丞相(かんしょうじょう)

菅原道真がモデル(歴史上の「丞相」は「じょうしょう」と読むが、本作では「しょうじょう」という)。
右大臣で、高潔かつ英明な故に、悲運をたどる。

藤原時平(ふじわらの しへい)

藤原時平がモデル(実在の「時平」は「ときひら」と読むが、本作では「しへい」という)。
左大臣で、菅丞相の政敵。
政権の独占を狙う。

苅屋姫(かりやひめ)

菅丞相の養女。

菅秀才(かんしゅうさい)

菅丞相の子息。
七歳。

覚寿(かくじゅ)

菅丞相の叔母、苅屋姫の実母で厳格な老女。
歌舞伎においては、難役とされ三婆の一つに数えられる。

斉世親王(ときよしんのう)

真寂法親王がモデル。
天皇の弟。

武部源蔵(たけべげんぞう)

菅丞相の弟子であったが過去に問題を起こし破門、現在は寺子屋を開いている。

戸浪(となみ)
源蔵の妻。

四郎九郎(しろくろう)、隠居して白太夫(しらたゆう)

三つ子の父親。
百姓であったが現在は佐田村で隠居生活を送っている。
三つ子は菅丞相の計らいで貴人の舎人(牛車の牛飼)となった。

梅王丸(うめおうまる)

三つ子の次男。
菅丞相の舎人、腕っ節が強い。

春(はる)
梅王丸の妻。

松王丸(まつおうまる)

三つ子の長男。
藤原時平の舎人、兄弟の中の切れ者。

千代(ちよ)
松王丸の妻。

小太郎(こたろう)
松王丸と千代の子。

桜丸(さくらまる)

三つ子の三男。
斉世親王の舎人で、優しい気立て。

八重(やえ)
桜丸の妻。

上演形態

人形浄瑠璃では義太夫節本文通りの段組みで演じられる。

歌舞伎では通し狂言は稀で、人気のある場面が単独で上演される事が多い。
その際、題名も正式な歌舞伎外題である『菅原伝授手習鑑』とは別の通称が用いられる。

喧嘩の場~桜丸切腹の場 → 歌舞伎では『賀の祝』の通称で上演
寺入りの場~寺子屋の場 → 歌舞伎では『寺子屋』の通称で上演
車曳の場 → 歌舞伎では『車引』の通称で上演

作品構成・あらすじ

初段

大序・大内の場: 藤原時平の横暴を菅丞相が諌め、時平はそれを逆恨みする。

加茂堤の場: 賀茂神社参詣の折、恋仲の斉世親王と苅屋姫との間を桜丸夫婦が取持つが、密会が露見する。

筆法伝授の場: 菅丞相に筆法伝授の勅命が下る。
筆法の横領を狙う左中弁平希世を退け、破門中の武部源蔵に伝授の一巻が渡される。

築地の場: 加茂社での密会が菅丞相による簒奪の企みとされ、流罪が決まる。
そんな中、子息の菅秀才が逮捕拘束の危機から救出される。

二段目

道行詞甘替(みちゆき ことばの あまいかえ): 景事(所作事)。
飴売りに身をやつした桜丸が、斉世親王と苅屋姫を菅丞相の元へ送り届ける。

安井汐待の場: 摂津国安井の津で九州行きの船が汐待ちしている間、菅丞相は覚寿の館(後の道明寺)へ赴く。

杖折檻の場: 別れの前にせめて一目父と顔をあわせたいという苅屋姫。
菅丞相から声がかかり、対面がかなったと思うが、声がした部屋にあったのは丞相の木像であった。

東天紅(とうてんこう)の場: 時平の配下の者が菅丞相を謀殺するための計略を、鶏を使って行おうとする。
苅屋姫の姉立田はそれに巻き込まれ殺害される。

丞相名残の場: 計略により、ニセの迎えに菅丞相はそれに乗り込む。
しかし、ある奇跡が丞相を救い悪は討たれる。

三段目

車曳(くるまびき)の場: 主を失い、時平の牛車を襲おうとする梅王丸と桜丸。
それを阻止する松王丸。
しかし姿を見せた時平の迫力に、二人は動けなくなる。

茶筅酒(ちゃせんざけ)の場: 白太夫に名を改めた三つ子の父の70歳の祝いに、三つ子とその妻達が集まる。

喧嘩の場: 敵側に就いている松王丸とそれが面白くない梅王丸が取っ組みあいとなる。
そのはずみで庭の菅丞相遺愛の桜の木を折ってしまう。

桜丸切腹場: 松王丸は勘当を、梅王丸は筑紫行きを申し出る。
桜丸は、事件の責任をとるべく自害を決意。
息子に先立たれる白太夫の悲哀。

四段目

天拝山の場: 筑紫で配流の日々を送っていた菅丞相であったが、梅王丸から時平の陰謀を聞き、怒りが爆発。
ついに天神と化し、天拝山から天へと昇るのであった。

北嵯峨の場: 北嵯峨 (京都市)に八重と共に潜伏していた菅丞相の奥方が襲われるが、山伏に助けられる。

寺入りの場: 京の外れ、芹生の里にある源蔵の寺子屋(菅秀才をかくまっている)へ、礼儀正しい母親に連れられた上品な子供が入門してくる。

寺子屋の場: ついに菅秀才捜索の手が源蔵の元へ迫ってきた。
捨て身で源蔵は一計を案じるが、捕縛にやってきたのは事情を知り尽くした松王丸。
絶体絶命と思われたが、土壇場で松王丸も菅丞相を慕っていたことが判明。
菅秀才は危機を逃れるが、その犠牲はあまりにも大きいものだった。

五段目

大内天変の場: 天神の神威により時平は破滅、菅秀才が菅原家を再興し、菅丞相には正一位が贈られる。

初段

加茂堤の段をはじめ、牛車牛がよく登場するのは、牛は天神の使いという天神信仰に因む。

二段目

覚寿の館での挿話は、菅丞相親子の別れ、殺人事件、そして菅丞相の危機と、いくつもの物語が詰まった密度の濃い内容で、数ある義太夫狂言でももっとも複雑かつ、みどころの多い段となっている。
また登場人物も多岐にわたるため、歌舞伎では大規模な座組み(配役)が必要となり、菅丞相の適任者が少ないこともあって上演が難しい演目である。
また、これを一人で演じ分ける浄瑠璃の太夫も高度な技能が要求される。

菅丞相は気品と貫禄が要求される大役で、市川團十郎 (9代目)、片岡仁左衛門 (11代目)、中村歌右衛門 (5代目)、中村鴈治郎 (初代)、松本幸四郎 (7代目)など歴代の名優が演じた。
近年では十三代目片岡仁左衛門の丞相が「神品」と最高級の絶賛を浴びた。

車曳の段

歌舞伎では梅王丸=立役・松王丸=立役・桜丸=立役の三様の人物がそれぞれ役柄に合った演技を見せる場となっており、歌舞伎の様式美が凝縮された演目となっている。
時平は天下をねらう権力者で歌舞伎では公家悪という役柄となり公家荒れという怪異な風貌で登場する。

上方では桜丸は和事を強調し、隈をとらず、「ご沈着」では泣き落すとなっているが、東京では桜丸は一本隈を取り、泣き落しはない。
背景も上方は背景を野遠見(田園風景の背景)と神社の塀の二つとするが、東京は最初から神社の塀で場面転換を行わない。

戦前では上方は梅王・松王・桜丸それぞれにツケ打ちが付いていて、三人が見得をする時はかなりの音量が出たという。

喧嘩の段~桜丸切腹の段

これまでの貴族世界から、のどかで庶民的な場で話が進む。
菅丞相の庇護のもと、つつがなく暮していた白太夫一家が、政変により一気に瓦解してしまう。
政治の横暴が庶民を苦しめる。
白太夫は上の息子二人に去られ、桜丸とは今生の別れをすることとなる。

白太夫という名は能の『道明寺 (能)』でも使われている。

桜丸が切腹をする時に着る襦袢の色は、役者の考え方で違っている。
上方では白が主流。
初代中村鴈治郎は赤に紗をかけて桜色にしていた。
東京は、様式美を重視する傾向があるので様々で、上方とおなじ白の他に、赤の下に白を着る(市村羽左衛門 (15代目)、坂東三津五郎 (7代目))やり方。
水色(尾上菊五郎 (6代目))を着るやり方などがある。
古風な白、赤。
近代的な水とそれぞれ特徴が見られる。

白太夫は自らの誕生日の祝う日に、一族がバラバラとなりついには我が子の死を看取る悲劇的な役割で、なおかつ、最後まで親の温情を失わない難しい役である。
十一代目片岡仁左衛門、片岡仁左衛門 (13代目)親子がそれぞれ当たり役としていた。

寺入りの段~寺子屋の段

身替り・モドリなど義太夫狂言の特徴的な作劇法を駆使して作り上げられた悲劇。

歌舞伎では時間の都合上、寺入りの段の部分を省略することがある。

平安時代に寺子屋は当然無かった。
これは当時の作劇において時代考証に対する意識が薄かったことと、寺子屋や教育に熱心な家庭では天神の像を祀る習俗があり、江戸時代の観客にとっては天神とのつながりが深い場所であったことによる。

1887(明治20)年4月、井上馨邸での天覧歌舞伎で『寺子屋』が演じられた。
皇后につきそっていた女官たちはみな涙を流した。

劇中、道化役が演じる「よだれくり」という子供は、源蔵に叱られ罰として線香と茶碗を持って立たされている。
天覧歌舞伎の帰途、明治天皇は「よだれくり」について「あの者は家でも線香と茶碗をもっているのか」と侍従に尋ねられた。
「いえ、彼は中村鶴蔵という道化役で、舞台では人を笑わせておりますが、家では謹厳実直な者でございます」との返答に「面白いやつじゃ」と笑われた。
それを聞いた鶴蔵はあまりのもったいなさに畳にひれ伏し泣いた。

この場面でのクライマックスは、首実検で、松王の型は古来さまざまあったが、蓋を手前に置いて、両手を軽く突きながら首を見下ろす。
「相違ない」で源蔵の方を見、「相違ござらぬ」で玄蕃の方を見、「源蔵」で蓋をして「よく討った」で右手を上げるというのが今日のスタンダードな型である。
なお、九代目市川團十郎や實川延若 (2代目)の型は、玄番が蓋を取り松王は刀を抜く派手なそれである。

ある役者が源蔵を演じた時、緊張して桶の中に首を入れるのを忘れてしまった。
松王を演じていたのが市川團十郎 (7代目)であったが、首実検の際、蓋をとれば肝心の首がない。
一同凍りついたが、團十郎は無言で蓋をし「源蔵改めて受取ろう」と返して源蔵を引っ込ませたあと、「のう、玄番殿、主君の首を討つほどでござる。
忘れても仕様あるまい」とアドリブで台詞を入れその場を治めた。

名台詞

武部源蔵「せまじきものは宮仕へ」(寺子屋の段)

逸話

江戸での初演に際しては、今で言う「割引券を配布するキャンペーン」を市中の寺子屋に対して行った。
結果は大当り。

菅丞相役の役者や太夫は、「天神さま」という信仰の対象であることもあって、舞台に立つ時は精進潔斎してこれを行なっている。

松本幸四郎 (9代目)は「自分が子役で出た頃(第二次大戦後)は、「寺子屋」等子供が犠牲になる芝居では観客がよく泣いたのを不思議に思った。
後年、戦死者の遺族だったと思い当たった」(要約、国立劇場第二二七回歌舞伎公演筋書より)と語っている。

浄瑠璃作者による遊び

「松竹梅」の内、「竹」は兄弟ではなく、源蔵に割り振られている。
→ たけべげんぞう

三つ子の妻達には、夫の名に因んだ名がつけられている。

[English Translation]