蕎麦 (Soba (buckwheat noodles))

蕎麦(そば)は、穀物のソバの実を原料として加工した、日本の麺類の一種、および、それを用いた料理。
蕎麦切り(そばきり)、日本蕎麦(にほんそば)とも呼ばれている。
歴史は古く、うどんや寿司、天ぷらと並ぶ代表的な日本料理である。
この蕎麦の調味として作られる「蕎麦つゆ」や「蕎麦汁」は、主に西と東では色・濃さ・味になどに明らかな違いがある。
また、その成分も各地によって好みが分かれる。
なお、蕎麦をゆでたゆで湯は蕎麦湯として飲用に供される。

概要

ソバはタデ科の一年草で、日本のみならず、アジア内陸地帯、東欧、中欧、北欧、南欧山岳地帯、南北アメリカ他で栽培され、食用とされる。
なお、植物あるいは作物としてのソバの特性は「ソバ」の項目に詳しいので、そちらを参照されたい。

製法

手打ちそばの場合、蕎麦粉(製法は蕎麦粉を参照のこと)を鉢と呼ばれる木製の鉢に入れ、水を加えて練り上げる。
これを打ち粉を広げた木の台に移し、日本の麺棒と呼ばれる麺棒を使って板状に延ばす。
まな板に移し、「小間板」(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で幅1-2mm程度の線状に切断して麺の形とする。
茹で上げて麺の完成となる。

蕎麦粉に含まれるタンパク質は小麦粉と違ってグルテンを形成しないので、水だけを加えて練ってもまとまりにくい。
粘り気を出すためのつなぎとして、小麦粉やヤマノイモ、玉子、フノリ、オヤマボクチなどを混ぜることが多い。

100%蕎麦粉だけでつくる蕎麦麺を「生粉打ち蕎麦」(十割蕎麦)という。
十割蕎麦では、湯を加えて蕎麦粉のデンプンの糊化を促進するか、別途蕎麦粉を糊化させたものをつなぎとして使用する場合もある。
その他、微細製粉により手打ち十割蕎麦をつくる方法、押し出し麺により製造する方法、粗挽き蕎麦粉を水練りにより製造する熟練の手打ち製法等がある。
十割蕎麦は小麦粉を「つなぎ」に使ったいわゆる二八蕎麦よりも切れやすい。
江戸時代には今のように茹でる蕎麦ではなく、蒸篭に乗せて蒸し、そのまま客に供する形の蕎麦が主流だった。
現在も一般的なメニューとして名を連ねている「せいろそば」はその名残である。

蕎麦の太さと蕎麦の材料によって汁の絡み具合が変わる。
細い蕎麦は汁が絡みやすい。
汁が絡みやすい蕎麦には濃い目の汁を少量つけて食べる。
蕎麦切りの太いものを「どじょう蕎麦」という。

蕎麦を茹でた湯はごく薄い粥のようになる。
これを蕎麦湯(そばゆ)という(詳しくは後述)。

食べ方

最も一般的な食べ方は、、つゆにつけながら食べる盛りそばやざるそばである。
盛りそばやざるそばの場合は、茹でた後にぬめりを取るために冷やしながらそばを洗い氷水等で締める。
(違いについてはざる蕎麦と盛り蕎麦の違いについて)
また、茹でて冷やして締めたそばを暖めて丼に盛り、温かいつゆを張ったかけそばもある(語源は「つゆをぶっかける」が縮まったもの)。

そばの香りや喉越しを楽しむために食べるときに音を立てることが許され、その点ではうどんや中華麺などと並んで世界的にも稀有な食品である。

多くの蕎麦好きは、新蕎麦の季節ともなれば特に蕎麦の香りを重要視する。
そうした蕎麦の香りを存分に味わうには、空気と一緒に啜り込み、鼻孔から抜くようにして食べるのが最良であるとされる。

原材料

蕎麦は「蕎麦粉」と「つなぎ」「水」にて作られる。
(つなぎの入らないものもある)

蕎麦粉とつなぎとして使用する小麦粉などの配合割合に応じて、十割蕎麦(生粉打ち蕎麦)、九割蕎麦、八割蕎麦(二八蕎麦)、七割蕎麦、六割蕎麦などと名称が変わる。

他につなぎとして使用されるものはヤマノイモ、こんにゃく、フノリ、オヤマボクチなどがあり、それらを加えることで独特の食感やコシが発生する。
布海苔を加えた蕎麦はへぎそばと称されることもある。

また、風味付けに加えられる素材によって、胡麻切り蕎麦(黒ゴマを使用)、海苔切り蕎麦(海苔を使用)、茶蕎麦(抹茶を使用)などの種類がある。
店によってはモロヘイヤ、山椒、タケノコ、フキ、アシタバ、シソ、ユズ、ワカメ、ウメなどの季節の植物を練り込んで出すところもある。

最近はルチンが豊富に含まれたダッタンソバを用いた麺もメニューの一つとして提供される。

栄養・成分

蕎麦のタンパク質はアミノ酸スコア92%と必須アミノ酸を豊富に含み、穀物として優秀な栄養価をもっている。

また蕎麦(蕎麦粉)に含まれる特徴的な機能性成分としてルチンがあげられる。

アレルギー性

蕎麦(蕎麦粉)は材料・加工品ともにアレルギー物質を含む食品として食品衛生法施行規則、別表第5の2による特定原材料として指定されている。
同法第11条及び同規則第5条による特定原材料を含む旨の表示が義務付けられている。

症状としては、軽い頭痛から嘔吐など様々であり、症状は食後すぐから現れる。
過去に、給食でそば粉を使用した蕎麦を食べた事が原因で発作をおこし、吐瀉物が気管に入って小学生が窒息死した事故があった。
そば・うどん店では同じ釜でそば・うどんを茹でる場合も多く、アレルギー物質を摂取する可能性があり、注意が必要である。

歴史

ソバの日本への伝来は奈良時代以前であることは確実である。
『類聚三代格』には養老7年8月28日(723年)と承和 (日本)6年7月21日(839年)付けのソバ栽培の奨励を命じた2通の太政官符を掲載している。
当時「曾波牟岐(蕎麦/そばむぎ)」(『本草和名』・『和名類聚抄』)あるいは「久呂無木(くろむぎ)」(『和名類聚抄』)と呼ばれていたソバが積極的に栽培されたとする記録は見られない(なお、『和名類聚抄』では、蕎麦(そばむぎ)をムギの1種として紹介している)。
更に鎌倉時代に書かれた『古今著聞集』には、平安時代中期の僧・歌人である道命(藤原道長の甥)が、山の住人より蕎麦料理を振舞われて食膳にも据えかねる蕎麦料理が出されたことに対する素直な驚きを示す和歌を詠んだという逸話を記している。
これは都の上流階層である貴族や僧侶からは蕎麦は食べ物であるという認識すらなかったことの反映とも言える。
この時代の蕎麦はあくまで農民が飢饉などに備えて僅かに栽培する程度の雑穀だったと考えられている。
なお、蕎麦の2字で「そば」と読むようになった初出は南北朝時代 (日本)に書かれた『拾芥抄』である。
蕎麦とイノシシ・ヒツジの肉との合食禁(食い合わせを禁ずる例)を解説しているが、今日における科学的根拠は無い。

蕎麦粉を麺の形態に加工する調理法は、16世紀末あるいは17世紀初頭に生まれたといわれる。
古くは、同じく蕎麦粉を練った食品である蕎麦掻き(そばがき、蕎麦練りとも言う)と区別するため蕎麦切り(そばきり)と呼ばれた。
現在は、省略して単に蕎麦と呼ぶことが多いが、「蕎麦切り」の呼称が残る地域も存在する。

この蕎麦切りの存在が確認できる最も古い文献は、長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の寄進記録である。
同寺での1574年(天正2年)初めの建物修復工事完成に際しての寄進物一覧の中に「振舞ソハキリ 金永」というくだりが確認でき、少なくともこの時点で蕎麦切りが存在していたことが判明している。

他に蕎麦切り発祥地として中山道本山宿(現在の長野県塩尻市宗賀本山地区)という説、甲斐国の天目山栖雲寺(現在の山梨県甲州市大和町)説(天野信景著『塩尻』)もあるが、定勝寺文書の傍証を鑑みるに、確実な発祥地とは言い難い。

しかしながら、江戸時代初期から文献では、特に寺院などで「寺方蕎麦」として蕎麦切りが作られ、茶席などで提供されたりした例が見られる。
1643年(寛永20年)に書かれた料理書「料理物語」には、うどん、切麦などと並んで蕎麦切りの製法が載っている。
17世紀中期以降、蕎麦切りは江戸を中心に急速に普及し、日常的な食物として定着した。

定義

「そば(蕎麦)」には、原料植物を意味する以外に2つの意味がある。
ひとつは蕎麦粉を用いた麺類の意味、もうひとつは麺類・麺料理全般の通称である。

蕎麦粉を用いた「そば」

「乾めん類の日本農林規格」(JAS)の「干しそばの規格」において、蕎麦粉の配合割合が40%以上の麺を標準品、50%以上の麺を上級品としている。
「生めん」については、不当景品類及び不当表示防止法に基づく「生めん類の表示に関する公正競争規約」が定められており、その中で「そば粉30%以上」の製品について「そば」との表示が認められる。
また、「良質のそば粉50%以上」含まれているものについては「高級、純良、特選、スペシャル等、その他これらに類似するものとして公正取引協議会で指定する文言」の表示が認められている。
原材料表示は「加工食品品質表示基準」にて、原料の多い順に記載するよう定められている。

麺類全般としての「そば」

ラーメン・焼きそばなどのように、原義から離れて麺類を「そば」と通称することもある。
このために、蕎麦粉を用いていないにもかかわらず「そば」の名が定着している食品もある。
こうした用法の場合は「蕎麦」の字は用いず、ひらがなで表記するのが通例である。

たとえば、沖縄で単に「そば」と言えば通常、ソーキそばなどで有名な沖縄そばを指す。
これは、蕎麦粉を一切使わず、100%小麦粉で、ラーメン製法と同じくアルカリ水溶液で練る。
このため、1976年(沖縄復帰4年後)に公正取引委員会は、蕎麦粉を使わない「沖縄そば」という名称にクレームをつけ「そば」と称すべきではないとした。
しかし、沖縄製麺協同組合が交渉した結果、特例として「沖縄そば」の表記が認められた経緯がある。
なお、沖縄で「(日本)蕎麦」を普通に食べるようになったのは沖縄復帰後であるとされている。

また、焼きそばも「そば」という名であるが、蕎麦粉を使わず、小麦粉をアルカリ水溶液で練り作られる。
区別が必要な場合、蕎麦入りのものを「黒そば」あるいは「和そば」、小麦粉の中華麺を「黄そば」と呼ぶ場合があるが、「黄そば(きぃそば)」と「生蕎麦(きそば)」は呼び方が似ているため紛らわしい場合もある。

製法による分類

手打ち蕎麦(手打ちそば)

機械で製麺されるものに対して、手作りで製麺される蕎麦を言う。
原料の蕎麦粉の善し悪しおよび各工程の出来が、香り・喉ごし・見栄え・食感(かたさ他)を左右し味に影響する。
手打ち蕎麦を製麺する専門的な技術を習得した者を蕎麦職人(そばしょくにん)と呼ぶことがある。
自分で出来の良いものを打つことを目標にし、蕎麦打ちを趣味として行う人もいる。
近年各地で「そば打ち名人の段位認定」が催されるなど、団塊世代を中心にブームとなっている。

手打ち風機械製麺
機械で手打ちのように製麺された蕎麦である。

機械製麺

押し出し製麺

蕎麦粉割合による分類

十割蕎麦(生粉打ちそば)

二八蕎麦

外二八蕎麦

五割蕎麦

蕎麦粉の種類による分類

更科蕎麦(さらしなそば)

ソバの実を挽くと中心から挽かれて出てくることから、後から出てくる粉に比べて、最初にでてくる一番粉が白く上品な香りを持つ。
一番粉を使用した蕎麦が「更科蕎麦」である。
東京などでよく食べられる。
粘りがなく、つなぎをよく使う。

田舎蕎麦(いなかそば)

蕎麦殻を挽き込んだ、黒っぽい蕎麦粉により製造された蕎麦。
蕎麦の香りが強く、あまり露をつけずに食べる。
長野県や愛知県、近畿、山村でよく食べられる。
つなぎに山芋などを使う。

藪系の蕎麦

抜き実の挽きぐるみ、つまり緑色の甘皮部分を挽き込んだ鶯色の蕎麦。
種皮の緑色が鮮やかな「藪」系の蕎麦はその香りが高い。

蕎麦粉の「産地」(日本国内・世界)による分類

信州開田高原産・北海道産・北米産・中国産など、蕎麦粉の産地・地方・国の違い等で区分。

製麺団体別による分類

生麺(なまめん)・生そば(なまそば)

そばを切った後に、打ち粉をまぶした状態で、紙包みやポリ袋、プラスチック容器などに入れて売られる。
後述の生蕎麦(きそば)とは異なる。

ゆで麺・ゆでそば

生麺を茹でて、食べられる状態にし、ポリ袋に入れて売られる。
ネギ、山葵などの薬味やつゆや出汁と共にプラスチック容器に入れて売られる場合もある。
天ぷらや油揚げを添付したものもある。

乾麺(かんめん)・乾そば

そばを風で乾かして、一定の長さの棒状に切り揃え、包装して売られる。

冷凍麺・冷凍そば

長期保存が利くように冷凍されている麺。
茹でる時間も短時間ですむ。
業務用での流通が多い。
また最近では1人前などの分量でスーパーマーケットやコンビニエンスストアで売られている。
つゆ・だしとセットにしたものもある。

インスタント麺・インスタントそば

カップ麺・カップそば・インスタントそばなどのカップ麺の蕎麦に存在する。

油で揚げて熱湯で戻るように加工されている油揚げ麺と、加熱後油で揚げず熱風乾燥させたノンフライ麺がある。
麺の表面に味をつけているものもある。

その他

新蕎麦(しんそば)

新しく収穫したソバの実で作った蕎麦粉を使用して作られた蕎麦をあえて新蕎麦と呼ぶ。
新米ご飯と同意。
新蕎麦の特徴を表す種皮の緑色が鮮やかな蕎麦はその香りが高い。

生蕎麦(きそば)

生蕎麦は現在では、二八蕎麦、十割蕎麦、五割蕎麦他の「蕎麦屋の蕎麦全般」を指す。
蕎麦屋で生蕎麦の語が使われるのは、上等な蕎麦を生蕎麦と呼んでいた頃の名残である。
元来は「そば粉だけで打ったそば・そば粉に少量のつなぎを加えただけのそば・小麦粉などの混ぜものが少ないそば」を意味するものだった。
しかし、江戸時代中期以降、小麦粉をつなぎとして使用し始めたことにより、二八蕎麦が一般大衆化したため、高級店が品質の良さを強調するキャッチコピーとして「生蕎麦」を使うようになった。
その後、幕末頃には「生蕎麦」の指す範囲は拡大し、二八蕎麦にも使われるようになった。
現在では、蕎麦粉の割合が明らかに低いと思われる駅前の低価格立ち食い蕎麦店等でも「きそば」のぼりは堂々と掲げられており、その意味は希薄化してしまっている。
そのため、蕎麦粉だけの蕎麦を売りにしている蕎麦屋は、わかりやすく表示するため「十割蕎麦」あるいは「生粉打ちそば」という表現を用いるのが一般的である。
また「茹でる前の生麺」、「生麺・ゆで麺など水分を多く含んだ麺」いう解釈もあるが、この場合「きそば」ではなく「なまそば(生そば)」と異称される。

蕎麦料理の種類

温かいものと冷たいもの、それから種物の種類により様々に分かれる。

つけ麺系の冷たい蕎麦

盛り蕎麦

ざる蕎麦

天ざる蕎麦(天ぷら付きつけ蕎麦)

鴨せいろ

つけとろろ蕎麦

そば粉本来の香りと喉越しを味わう為には、盛りやざるで食べられることが多い。

茹でたそばを水で締め、木製か竹製の四角形の器の底にすのこを敷いた蒸篭(せいろ)や笊(ざる)に盛り付けたもの。
別の器に注いだ蕎麦つゆに浸けながら食べる。
こちらの方がかけ蕎麦より古くからの食べ方である。
薬味として、摺り下ろしたわさびやダイコンがよく用いられる。
わさびはつゆに溶く場合と、わさびの味を損なわないためつゆに溶かずそばに乗せて用いる場合がある。
大根はときには、辛味大根、ねずみ大根とよばれる刺激の強いものを用いる。
関西ではウズラの生卵をつゆに溶いて食べる。

ざる蕎麦と盛り蕎麦の違いについて

現在では海苔のかかったものを「ざる蕎麦」、かかっていないものを「盛り蕎麦」と呼んで区別している。

元来、ざる蕎麦と盛り蕎麦の区別は、蕎麦の器(容器)の違い(ざる蕎麦はざるに乗せる)と、蕎麦つゆ(「ざる蕎麦」は通常よりコクのあるつゆ)の違いだった。

なお、蕎麦そのもの麺質(粉質や種類など)に違いがあるとする考え方や、ざる蕎麦が「上」で盛り蕎麦が「並」とする考えもある。

また、蕎麦の器には「せいろ」もあるが、せいろに乗った蕎麦でも海苔がかかっていればざる蕎麦である。
同様にざるに乗っていても海苔がかかっていなければ盛り蕎麦である。

ざる蕎麦の発祥は、深川の州崎弁財天前にあった伊勢屋が、蕎麦を竹ざるに乗せて出したところ評判が良く、大いに売れたことによる。
ほかの蕎麦屋がこの手法を真似ることで「ざる蕎麦」が広まった。
なお、冷たい蕎麦に刻んだ海苔を散らすようになったのは明治以降である。
したがって当時の伊勢屋流のざる蕎麦に海苔はかかっていなかったと思われるがこれは未確認である。

また、盛り蕎麦の「盛り」の語は、現在の掛け蕎麦である「ぶっかけ」の対義語である。
元禄時代に流行した「ぶっかけそば」と区別するために汁につけて食べるそばを「もり」と呼ぶようになった。
したがって、ざる蕎麦の「ざる」の対義語が「盛り」ではない。

ぶっかけ系の冷たい蕎麦

冷やしたぬき

冷やしきつね

冷やしとろろ

おろし蕎麦

みぞれ納豆

冷やしなめこ

冷やしかつ蕎麦

これらは冷やし蕎麦に名の元になる具のみを乗せたものではなく、キュウリ、錦糸玉子、カマボコ、ワカメなどの具とともに、主となる具を綺麗に盛り付けるのが慣例である。
そういった意味では、冷やし中華に極めて近い料理であるとも言える。

温かい蕎麦

かけ蕎麦 (素蕎麦)

茹でたそばを丼に盛り、温かいそばつゆをかけたもの。
薬味として、小口切りにした長ネギと七味唐辛子がよく用いられる。
細かく刻んだ柑橘類の皮を入れると、風味が立つ。
付け麺の蕎麦よりも新しい食べ方。

つけ蕎麦

ざるに盛った蕎麦を温かいつゆにつけて食べるもの。
このつゆは通常「ぬき」(蕎麦ぬきの意)とよばれるタネをつゆで煮たものを出す場合が多い。
鴨つけ、肉つけなどがある。
(つけ蕎麦は温かい汁に浸けて食べても冷たい蕎麦に分類すべきとの考えもある)

なお、一般的な蕎麦ではないが、長野県松本市奈川地方にしゃぶしゃぶのような「長野県」(後述、各地の名物そば長野県を参照)という温かい鍋に蕎麦をつけてから食す変わった食べ方の蕎麦もある。

きつね蕎麦

関東などで甘く煮付けた油揚げ(キツネの好物とされる)を具とするもの。
細切れを載せる地方もある。

たぬき蕎麦

関東などでは、天かす(揚げ玉)をのせたものを指す。
天ぷらのかわりにのせる=「タネ」がない、つまり「タネ抜き」がなまって「たぬき」。
あるいは天ぷらの代わりとして「騙す」意味からきた呼び名とされる。
京都ではくずあんを掛けて細切りの油揚げを載せたものを指し、大阪では前述のきつね蕎麦を指す。
関東でいう「たぬき蕎麦」は、関西では「ハイカラ蕎麦」と呼ばれることもある。
天かすは薬味同様に自由に入れられるようにした店が一般的であるため、特に名称がない場合も多い。

天ぷら蕎麦

種物としては最も古くからあり、江戸中期に貝柱のかき揚げなどを載せたのがはじまりという。
市中の蕎麦屋では通常は海老の天ぷらを載せたものが多く、天丼のような形で天ぷらを載せるものなどもある。

立ち食いそば・うどん店では安価に供するため、東海以東・以北ではかき揚げ、関西以西では小さな海老(体長5cm未満)と大きな衣の天ぷらを用いるのが一般的である。
(関西以西でかき揚げを載せたものは「かき揚げそば」と明確に品名を分けることが多く、また市中の蕎麦屋と同様の大きな海老の天ぷらを載せる場合は「上天ぷらそば」「えび天そば」等の名称がある。)

関東中心に、竹輪の天ぷらを載せた「ちくわ天そば」というものもある。

別名で天南蕎麦(天ぷら南蛮)という店もある。
天ぷらの海老の数で天ぷら蕎麦2本、天南蕎麦1本とメニューでわけている場合もある。
南蛮とは外国からの、南蛮煮からで唐辛子・ネギなどを加える料理からである。
しかし、現在では天ぷらそばの違いは、ネギが多用されているか否かとされる。

月見蕎麦

生卵を具とするもの。
黄身を月に見立てる。

とろろ蕎麦(山かけ蕎麦)

ヤマノイモやナガイモのすりおろしと卵白身をあてたものをかけた蕎麦。
ウズラの生卵か黄身ものせて供される場合が多い。

鴨南蛮(かもなんばん・かもなんば)

アイガモと葱を具とするもの。
南蛮とは葱を意味し、大阪の難波の転訛という説もある。
発祥は『嬉遊笑覧』に記述がある、文化 (元号)に馬喰町に存在した「笹屋」とされる。

鳥南蛮

鶏肉と葱を具とするもの

肉南蛮

牛肉あるいは豚肉と葱を具とするもの。

鰊(にしん)そば

京都市など、ニシンの煮込みを載せたもの。

はらこそば

盛岡市地域など、生のイクラを具材としたもの。

カレー南蛮

カレー粉を蕎麦のつゆでのばしたもの(和風出汁のカレー)に片栗粉でとろみをつけたものをかける。

なめこ蕎麦

ナメコをおもな具とするもの。
他のキノコ類を一緒に入れる事が多い。
元は山形県内陸部・東北・北関東など天然のなめこが採れる地方にて食されていた。
なめこと大根おろし等を具材に用いた蕎麦。

山菜蕎麦

山菜をおもな具とするもの。

おかめ蕎麦

傍目八目から五目より具が多い意味。
また、おかめの顔を模した具材の配置をするからとも言われている。
蒲鉾や青菜(ホウレンソウなど)などを具として載せる。

しっぽく蕎麦

数種類の煮込んだ野菜が入っている。
現在では京都・香川県などで、「うどん卓袱うどん (しっぽくうどん)」の麺を蕎麦に代えたものを指す。
元々は寛延年間の江戸で、しっぽくうどんの影響を受けて成立した種もの蕎麦で、おかめ蕎麦の原型とも言われる。
古典落語『時そば』の中にも「しっぽく」が出てくるが、現在の関東地方の蕎麦屋には無いことが多い。

けんちんそば

茨城県・千葉県などで食べられる
けんちん汁をかけ汁やつけ汁として用いる。

五目蕎麦

花巻蕎麦

海苔を具とするもの。
花巻蕎麦が誕生したのは江戸・安永年間(1772-81)の頃とされる。
海苔を「磯の花」として例えた事から名付けられた。
『時そば』で「しっぽく」と並んで登場する。

わかめ蕎麦

その名の通り、切ったワカメを載せたもの。

おぼろ蕎麦

おもに関西地区で、いわゆる「とろろ昆布」を載せたもの。

きざみ蕎麦

おもに関西地区で、油揚げを煮付けたりせずにそのまま短冊切りにしたもの(これを「きざみ」と呼ぶ)を載せたもの。

その他の食べ方

蕎麦掻き(そばがき)

蕎麦粉を湯がいたもの。
家庭料理としては種類が多い。

蕎麦寿司

酢飯の代わりに蕎麦を用いた寿司巻寿司。

巣篭り蕎麦(すごもりそば)

油で揚げたそばに和風のあんをかけたもの。
形態としては皿うどんに近い。

蕎麦餅(そばもち)

蕎麦粉と乾燥させたゴボウの若葉などを混ぜ、小麦粉をつなぎとして加えた後に練り上げて蒸したもの。
葛餅や蕨餅に近い食感の和菓子。

蕎麦饅頭(そばまんじゅう)

皮に蕎麦粉を使用した饅頭で、つなぎにすりおろしたヤマノイモを用いたものもある。

蕎麦クッキー(そばクッキー)

小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られたクッキー。

蕎麦ボーロ(そばぼうろ)

蕎麦粉を使った球状、または花状の焼き菓子。
京都の菓子屋が発明した。
数店が元祖争いを行っている。

蕎麦花林糖(そばかりんとう)

小麦粉の代わりに蕎麦粉を用いて作られた花林糖。

蕎麦パン(そばぱん)

蕎麦粉と小麦粉を51の割合で混ぜて卵1個と砂糖・塩少々を加えて練り上げて卵焼き風に焼いたもの。

蕎麦ソフトクリーム

ソフトクリームに蕎麦茶を加えた香ばしさのあるソフトクリームで夏季に信州地域で販売されている。

ばっと・かっけ・はっと

そば生地を短冊形に切ったもので、大根や豆腐の鍋物に入れたり、ネギやニンニクなどで味付けして食べる。
青森・岩手の郷土料理。

そば粉入りのクレープ(ガレット)

フランス・ブルターニュ地方の郷土料理。
そば粉、ミルク、鶏卵、ビールを攪拌したものを、熱してバターを入れた平なべで焼く。

そば粉入りのパンケーキ(ブリヌイ)

ロシアとウクライナの料理。
スメタナやキャビアをのせて食べる。

そば焼き

蕎麦でつくるソース焼きそば。

そばパスタ(ピッツォッケリ)

蕎麦粉が混合されたパスタ。

冷麺

蕎麦粉を主原料とすることがある。

そばのカーシャ(東ヨーロッパの粥)

メミルムク (料理)

朝鮮半島の料理。
蕎麦粉を水に浸けて取り出したでんぷんで作る寄せもの。
タレをつけて食べる他、和えるにする。

蕎麦湯

蕎麦を茹でるのに用いたゆで湯の蕎麦湯(そばゆ)を、浸け麺の蕎麦に添えて湯桶で飲用に出す店が多い。
この蕎麦湯を残った蕎麦つゆに湯桶から注ぎ入れて割り、最後の締めに飲む。
蕎麦を食べ終わる時間を見計らって蕎麦湯の湯桶を時間差で持ってくる店が多いが、蕎麦と同時に持ってくる店もある。
蕎麦つゆと割らず蕎麦湯のみを飲む人もいる。
残った蕎麦つゆを一旦捨てて、新しい蕎麦つゆと蕎麦湯を割って飲む人もいる。
なお、通常暖かい蕎麦に蕎麦湯は添えて出されない。

良水を多量に使用する店では蕎麦湯はサラッと薄く、ゆで湯が少なめで使いまわしている店ほど濃くなる傾向にある。
ドロッと白濁した濃い蕎麦湯を好む客も多く、サラッと薄い蕎麦湯に文句を言う客もいるため、わざわざゆで湯を煮詰めたり、そば粉や小麦粉を溶かし込んでわざわざ濃い蕎麦湯を作る店もある。

冷やしの蕎麦つゆはそのまま飲むには味が濃いので、この蕎麦湯をいれて蕎麦つゆの出汁を味わう目的がある。

近年の蕎麦ブームのため、蕎麦喰いが一般的になり、蕎麦湯での塩分のとりすぎに注意する旨の表示も見られ、蕎麦湯のみを飲む(味わう)人が増えてきた。
そういうことから、蕎麦湯に残った蕎麦の風味や、ゆで湯の水の味(蕎麦屋では良水をゆで湯使用することが多い)など、蕎麦湯そのものを味わう楽しみにも焦点があてられるようになった。

なお、蕎麦湯に水溶性の栄養分が溶け出しているために蕎麦湯を飲むという説がある。
だが、蕎麦の茹で時間が30-60秒と極めて短く、溶け出す量は限られること、またルチンは不溶性であること等から考えると、あまり理にかなってはいない。

酒類を提供している蕎麦屋の一部では、焼酎(甲類)を蕎麦湯で割った「蕎麦湯割り」なるメニューがある。

蕎麦屋

通常、蕎麦を食わせる店は蕎麦の専門店、もしくは蕎麦とうどんのみを扱う店であることが多い。
これを蕎麦屋(そばや)という。
蕎麦屋は江戸時代中期ごろから見られる商売で、会席や鰻屋に比べると安価で庶民的とされる。
蕎麦が好まれる江戸には特にその数が多く、関東大震災以前は各町内に一軒もしくは二軒の蕎麦屋があるのが普通だった。

蕎麦屋の起源は不明だが、江戸時代後期に書かれた2種の書物『三省録』・『近世風俗志』にて、1664年(寛文4年)に「慳貪(けんどん)蕎麦切」の店が現れたとの記述がある。
1686年に江戸幕府より出された禁令の対象に「うどんや蕎麦切りなどの火を持ち歩く商売」という意味の記載があり、この頃にはすでに持ち歩き屋台形式の蕎麦屋が存在したことが推測できる。
これらの屋台形式の蕎麦屋は、時代や業態によって二八蕎麦・夜鷹蕎麦・風鈴蕎麦などとも呼ばれた。
当初は、現在のファーストフードのような小腹を満たす食事であり、その後も軽食といった位置づけが完全に抜けることはないままに推移している。
この屋台蕎麦屋の伝統は姿を変えて、現在の立ち食いそば・うどん店にまで続いてると捉えることも出来る。
店を構えた蕎麦屋が増えるのは1700年代後半のことと考えられている。

その一方で、蕎麦を食することを下賎の風習として上流階層が敬遠していたとする史料もある。
武家の有職故実の大家だった伊勢貞丈の『貞丈雑記』には蕎麦切りを食することは「古くありし物なれ共、表向などへ出さざる物故、喰様の方式なども記さざるなるべし」と記して、武家や公家などの間では人前で蕎麦を食するものではなかったと解説されている。
前述の『三省録』でも「下賎のものは買ひて食ひしが、小身にても御旗本の面々調へて(=買って)食ふことなし、近年いつとなく、調へて食う様には成りたり」と記して、かつては生活が苦しい小身旗本でも蕎麦を食べるような事はなかったと記している。

蕎麦屋の特色は、蕎麦を中心に品数があまり多くなく、酒を飲ませることを念頭においているところにある。
特に東京ではその傾向が強い。
蕎麦屋の酒を「蕎麦前」と称する。
現在でも同程度の蕎麦屋とうどん屋を比べると、出す酒の種類は蕎麦屋のほうが多いのが普通である。
主なメニューは、各種の蕎麦や酒のほかに、種物(たねもの)の種だけを酒の肴として供する抜き(ヌキ、天ぷら、鶏肉、鴨、卵、など、天ぬきの項も参照)や蒲鉾=「板わさ」、わさび芋、海苔、厚焼き玉子、はじかみショウガと味噌、また場合によっては親子丼などの丼ものなど。
また店によっては、茹でた蕎麦を油で揚げた揚げ蕎麦が品書きにあることもある。
これは箸休め、あるいは乾き物として酒肴にされる。

太平洋戦争以前の蕎麦屋には、蕎麦を食べる以外のさまざまな用途があった。
まず、町内の人間が湯の帰りなどに気軽に立ち寄り、蕎麦を手繰ってゆくざっかけない店である。
またその一方で現在の喫茶店のように、家に連れてきにくい客と会ったり、待ち合わせをしたりする場合にも用いられた。
たいてい一階が入れこみ、二階が小座敷になっていることが多く、二階は込み入った相談、男女の逢引、大勢での集まりなどにも用いられたという。

戦後はこうした雰囲気も徐々に薄れてきたが、いまだに味のよい蕎麦と酒を出し、静かな雰囲気で他の料理屋とは違う一種独特な風情を楽しむことができる店も存在する。
蕎麦はたんぱく質を最も多く含む穀物で、米と大豆と共に摂ったと同じ栄養バランスがある。
酒と蕎麦の組み合わせは、栄養学的にも優れている。

蕎麦屋を考える上で逸することができないのが、出前という仕組みである。
もとより蕎麦は長時間の持ち運びに適さない食物であるが、むかしは蕎麦屋の数が多く、出前の範囲も比較的狭かったために、蕎麦は店屋物の代表格だった。
ちょっとした客をもてなすために、あるいは年越し蕎麦を一家で食べるために、町内の蕎麦屋から出前を取る風習は古く、江戸時代から見られるものである。
このためには岡持ち(おかもち)と呼ばれる取っ手のついた箱型の道具が用いられた。
たいていは店の使い走りが蕎麦を出前し、後で丼や蒸籠などの器を引き取りにゆくことが多かった。
勘定は古くは2度目のときにもらったらしいが、現在では1度目のときに精算することが多い。
戦後は自転車やオートバイを利用することも多く、高く積み重ねた蒸籠を曲芸さながら肩に担いで片手でハンドルを握る姿は、いっとき蕎麦屋の象徴であった。
その後、オートバイでは出前機を用いる方法が普通になり、蒸籠担ぎの曲芸はあまり見られなくなった。

また、客が店内のカウンターで立ったまま食べる(立ち食い)・簡易椅子に腰掛けて食べるスタイルの営業形態を基本とした蕎麦屋『立ち食いそば・うどん店』も多数存在する。
これらは、鉄道駅やその周辺地域、ビジネス街などの市街地・商業地域、あるいは遊園地、野球場や競馬場などの遊興施設などに多い。

東京

蕎麦専門店だけではなく、うどんも提供する店もありこのような店も「蕎麦屋」と呼ぶ。
立ち食いそば・うどん店も多い。
蕎麦と酒を楽しむ趣向もある。

古く江戸では、うどんも盛んに食べられていた。
しかし、江戸時代中期以降、江戸での蕎麦切り流行に伴って、うどんを軽んずる傾向が生じたという。
江戸でうどんよりも蕎麦が主流となった背景には、白米を多食する人に見られ「江戸わずらい」と呼ばれた脚気を、ビタミンB1を多く含む蕎麦を食べることで防止できたことにもよる。

蕎麦とうどんの抗争を酒呑童子退治になぞらえた安永期の珍品黄表紙『化物大江山』(恋川春町作)がある。
当時の江戸人の蕎麦・うどんへの価値観の一面を描いていて、意外な資料価値がある。
源頼光役は蕎麦、悪役の酒呑童子はうどんである。
なぜか、「ひもかわうどん」だけは蕎麦側についており、蕎麦一色だった江戸でも例外的に人気があったようだ。

以後、江戸→東京では、蕎麦を手繰ることに一種の「粋」を見出す高い価値付けさえ生じるようになる。
「夕方早くに蕎麦屋で独り、種物の蕎麦を肴に酒を飲む」ことが、スノッブ(俗物根性)さも臭わせる趣味として横行するまでに至る。
江戸では、蕎麦を食べることを「手繰る」(たぐる)ともいう。
このような言葉を使うこと自体、一つの気取りと言える。

夏目漱石の『吾輩は猫である』(1905年)でも、粋人を気取るハイカラ遊民・迷亭が「うどんは馬子の喰うもんだ」とうそぶく。
そして上がり込んだ苦沙弥先生宅で勝手に蕎麦の出前を取って一人で喰う描写がある。
蕎麦食いの講釈をとうとうと垂れ、薬味のワサビの辛さに涙しつつやせ我慢で耐えて蕎麦を呑み込む迷亭のいささか俗物的な面も否めない粋へのこだわりぶりに比べ、胃弱症の苦沙弥先生が「うどん好き」であることで、うどんの印象は相対的に冴えないものとなる。

同じく漱石作品の『坊っちゃん』(1906年)においても、江戸っ子である“坊っちゃん”が松山市で天ぷら蕎麦を注文する一場面が見られる。

漱石が江戸文化の影響を色濃く受けていた事を想起すれば、『猫』での描写は、江戸・東京におけるある種のステレオタイプにのっとったものだったろう。
その観念は容易に抜き難く、現在でも東京では、うどんより蕎麦の方が優勢なままである。
蕎麦を食べる前提で作られた濃厚なつゆをうどんに用いるのも、これに起因すると見られる。

江戸っ子の蕎麦に対するこだわりや、関西との違いとして上げられる点は以下の様な点がある

もりを食うときは蕎麦の先だけをつゆに浸して食べる。
これは、蕎麦の風味を味わうため。
関東のつゆは濃いめなので、ちょっと浸すことで十分なため。

口に入れたらあまり噛まずに飲みこみ、喉越しと鼻に通る香りを楽しむ。

大きな丼にたっぷりと蕎麦が入っているのは野暮。
少なければ2,3枚食べる。

箸は割り箸。
塗箸は蕎麦が滑るので好まれない。

酒を飲むのでなければ、さっさと食ってひきあげるのが粋。

蕎麦を食べることを「手繰る」と言う。

もちろんこれが正当という訳ではない。
「粋」を重んじるが故の、意地や見栄による誇張が多分に含まれている。

関西

関西における蕎麦処の筆頭は兵庫県豊岡市出石町(出石城下町)で、皿そば「出石そば」は広く知られている。
これは江戸時代に蕎麦の本場だった信州上田藩の藩主仙石政明が出石藩に国替えとなった際、大勢の蕎麦職人を連れて来て以来の伝統とされる。
このためか兵庫県では出石や篠山市など地元の蕎麦のほかに全国各地の蕎麦を出す店が多く存在する。

京都は古くからの蕎麦屋が多い。
これは背後に控える丹波地方でそば作りが盛んだったためである。
また、有名なニシンそばは幕末に生み出されたものであり、古くから京都にあった惣菜である「ニシン昆布」に発想を得ている。
全体的に見れば、大阪と同じくうどんの方が好まれる傾向にあるが、大阪のようにそば屋がうどんを提供する場合は極めて稀である。

大阪では「そば」より「うどん」の方が一般的に好まれるとされ、立場が東京とは全く逆である。
うどん屋が利用者のニーズに応えて「そば」も出しているという概念が強く、蕎麦屋であってもうどんを提供する店も存在する。
また、出汁は元来うどんに用いる前提で作られた、淡口醤油を基調とした透き通ったものを用いることが多い。
しかし、それによって生まれた文化もあり、たぬき (麺類)(油揚げの乗ったそば)やとろろ昆布が乗ったこぶそばは大阪が発祥である。
また、そばは産地の関係か一般に黒そば、田舎そばなどとと呼ばれる殻ごと碾いたものが好まれる傾向にある。

日本の農山村における蕎麦

日本の農山村において、伝統的に蕎麦切りはもてなしの料理だった。
焼畑農法でソバを栽培していたような山村にあっても、蕎麦切りは祭礼や正月、来客時のごちそうであると認識されていた。
どこの家でも素人ながらに蕎麦打ちの技術を持っており、来客があると、家の主人もしくは主婦が蕎麦を打ち、食事として供した。

食べ方としては、にんじんや椎茸などを細切りにして煮込んだ澄まし汁やみそ汁をつけ汁にして、もりで食べる。
また、蕎麦粉の節約のため、細切りのダイコン(薬味とは異なる)や、春にはセリなどをゆでて、麺と混ぜて盛りつけて食べることもあった。

一方、蕎麦掻きは、作るのが簡単であることもあり、普段、農作業の合間に口にするような食べ物だった。
他にも、その他の雑穀類と同様、団子にしたり、野菜を煮立てた中に蕎麦粉を入れてかき混ぜるような食べ方もあった。

食糧の自給をほとんどしなくなったことや、都会風の蕎麦の食べ方の普及により、地域ごとに特色のあった蕎麦の食べ方は廃れつつある。

各地の名物そば

ソバは痩せた土壌でも栽培できたことから、北は北海道から南は九州鹿児島まで、山間地や新規開拓地で盛んに生産された。

なお、各地の有名・老舗蕎麦店、立ち食い蕎麦屋、蕎麦チェーン店などについてはそれぞれ関連項目を参照。

青森県

津軽そば(津軽地方)

元々はつなぎに大豆を使い、手間を掛けて作られる蕎麦を指していた。
その手間から作る人や店が減少したことによって津軽地域で食べられる通常のそばを指すことも多くなった。

夏井田そば(青森市)

白神ソバ(西目屋村)

岩手県

わんこそば(盛岡市)

秋田県

石川ソバ(八峰町)

西馬音内そば(羽後町)

山形県

板そば(山形県内陸部)

紅花そば(村山地方)

ベニバナを練り込んだ蕎麦。

冷たい肉そば(山形県河北町谷地)

茹でた鶏肉の薄切りを具材に用いた蕎麦。

山形そば(山形市)

蕎麦店が江戸に誕生してから時間をおかず、蕎麦に関する技術が山形に伝わって定着し、常食されるようになった。
松尾芭蕉の「曾良旅日記」に出羽三山で蕎麦を食べた記述がある。

天童そば(天童市)

手打そばが地域資源となっており、また乾麺も生産されている。

福島県

裁ちそば(会津地方)

つなぎ粉を一切使わない生地で脆く畳むのが難しいため、まず生地を薄く伸ばす。
その後に数枚から十数枚重ねて裁つように切るところから、こう呼称されるようになった。

磐梯そば(磐梯町・猪苗代町)

地産そば粉と名水百選にも選ばれている磐梯西山麓湧水群の天然水を使用した蕎麦。
磐梯そばの知名度向上と地域活性化を目的として2007年に磐梯町で「第13回日本そば博覧会 in 会津・磐梯」が開催された。

山都そば(喜多方市山都町 (福島県))

宮古地区で有名なことから宮古そばとも言う。
つなぎを一切使用しない、地産そば粉と伏流水を使用した蕎麦で、手打ち体験にも力を入れている。
合併前に山都町が蕎麦貯蔵用の大型保冷庫を建設した。

高遠そば(南会津郡下郷町大内宿)

長野県伊那市の高遠そばを参照。

桧枝岐そば(桧枝岐村)

桧枝岐産の蕎麦(前述の「裁ちそば」等)を指す。

茨城県

金砂郷そば(常陸太田市)

常陸太田市金砂郷地区(旧金砂郷町)は茨城県の奨励品種「常陸秋そば」の発祥地であり、その旧町名をそばのブランド名として復活させた(商標登録第4873108)。

栃木県

今市そば・日光そば(日光市)

日光市今市地区(旧今市市)は、ソバ生育に適した気候と地形だったことから古くからの産地である。
蕎麦屋は老舗や地域おこしの地域資源として新たに誕生した店もあり、活性化の一環として秋には「日光そばまつり」が行われている。

出流そば(栃木市)

地産地消(地元で生産し地元で消費する)の方針で取り組んだ「盆ざるそば」が主流。

仙波そば(佐野市仙波)

佐野市(旧葛生町)仙波地区にて地産地消の方針で取り組んだそば。

群馬県

岡屋敷そば(伊勢崎市)

岡屋敷そば生産組合がそばの栽培・加工(地場産のそば粉や生そばを製造)・販売を行っている。
また、秋には「そばの里はなまつり」を開催している。

埼玉県

秩父そば(埼玉県秩父地方)

古くからそばの栽培に適した土地で、祝祭事や来客時には家庭でそばを打ってもてなしていた。
ところが、近年はそばを打つ家庭が減少傾向であり、その伝統が蕎麦屋に受け継がれ現在に至っている。

千葉県

甚兵衛そば(千葉県印旛沼周辺)

義民・佐倉宗吾が幕府へ直訴するために江戸へ向かう際、禁制を犯して渡し舟を出しその後印旛沼に身を投じた渡し守「甚兵衛」の名前を使った蕎麦。

東京都

深大寺そば(東京都調布市・三鷹市)

元禄年間、天台宗東叡山寛永寺貫首公弁法親王に蕎麦切りを献上し賞賛を得る。
そのことで知名度が上がり、その後一般庶民に広まった。

とろろ蕎麦(東京都八王子市高尾山)

大正時代、山を登る参拝客に精をつけてもらおうと麓の店が提供したのが始まりといわれている。
地域おこしの地域資源として、冬季に京王電鉄と「冬そばキャンペーン」実行委員会によって「高尾山の冬そばキャンペーン」が開催されている(2008年現在6回目)。

あられそば(東京都)

小柱(青柳の貝柱)を具にした温かい蕎麦。
小柱をかき揚げにして具にする店舗もある。

神奈川県

秦野のそば(秦野市)

タバコ耕作の裏作としてソバが作られ神奈川県内一の産地となっておる。
新かながわの名産100選に選定され、戦後に誕生した『丹沢そば』などのブランドがある。

新潟県

へぎそば・布海苔そば・十日町そば(十日町市・小千谷市)

つなぎに、フノリを使用し、生麺の他に乾麺も製造している。
地産地消運動を奨励し、そば打ち体験ができるスポットもある。

しらうお(素魚・白魚)そば(佐渡島)

シラウオを具材に用いた蕎麦

大崎そば(佐渡島)

地元産で石臼挽きのそば粉100%で作った麺と、だしはアゴ(トビウオ)を用いた蕎麦。
「うまい本物の蕎麦を作って食べよう」という発想から生まれ、併せて郷土料理を食べたり大崎地区の伝統芸能を鑑賞できる等地域活性化の催しとなっている「大崎そばの会」が1978年(昭和53年)に誕生した。
以来、この会は毎年11月後半から12月初旬に行われている。

富山県

利賀そば(南砺市)

元々は、つなぎは玉子でそれにそば粉100%で作る蕎麦だったが、麺が切れやすく食感の好みも分かれるため、近年この地域にある蕎麦店では各店毎に独自性出した蕎麦を作っている。
冬には「南砺利賀そば祭り」が催されている。

石川県

門前そば(輪島市)

能登半島産のそば粉とつなぎには自生するヤマノイモを使った蕎麦。

鳥越そば(白山市)

白山市鳥越地区産そば粉を使用した蕎麦。
毎年秋に「鳥越そば花まつり」「鳥越新そばまつり」が行われている。

福井県

越前そば(福井県)

辛味大根と醤油を合わせてつけ汁にする蕎麦。

今庄そば(南越前町)

大野そば(大野市)

美山そば(美山町)

長野県

信州そば

戸隠そば(長野市戸隠)

凍り蕎麦(北信地方)

行者そば(長野市戸隠)

奈良時代初期に役小角が木曽駒ヶ岳で修行中、幾つかある登山道の途中にある集落「内の萱」の里人に篤い持て成しを受けた。
そのお礼に役小角が里人に渡したソバの種が発祥とされる。
焼き味噌を溶き入れたつゆ(辛つゆ)に薬味として辛子大根おろしとネギを入れて食べる。
行者は修行の中に「五穀十穀」があるが、そばは該当せず、また火を使わなくても食する事ができる点を理由に、そばの実や粉を常備食としていた。

富倉そば(北信地方)

開田そば(木曽町開田高原)

冷涼で朝霧や夕霧が発生する気候によりソバ生育に適していた事から古くからのソバ産地である。
その地産そば粉にて作った蕎麦である。
具材にすんき(野沢菜の漬け物)と鰹節を用いた「すんきそば」は冬季に作られる。

霧下そば(北信地方)

「霧下そば」について、狭義では戸隠そばの中でも昼夜の気温差が激しく霧の発生する場所で獲れたソバやそば粉やそれで作った蕎麦だけを指す。
広義では戸隠産の良質なソバやそば粉やそれで作った戸隠そばを指す。
また、同様の条件を満たした「開田そば」を指すこともある。

善光寺そば(長野市)

主に善光寺表参道周辺で営業している蕎麦屋やそこが出す蕎麦を指す。
商品に「善光寺そば」を使用する場合は善光寺事務局の許可(公許)をもらい、「善光寺ブランド」使用ロイヤルティーを支払う必要性が生じる。

高遠そば(長野県伊那市)

会津松平家の初代藩主保科正之は大変なそば好きだったと伝えられており、また二十数年信濃国高遠藩との密接な関わりがあり、この地域では味噌味(みそ+大根おろし+ネギ)のそばつゆ「からつゆ」にて蕎麦が食されていた。
その後、保科正之が陸奥国会津藩23万cと大身の大名に引き立てられたことがきっかけで、この「からつゆ」蕎麦の食べ方も会津地方に伝わり、発祥地の名を取って「高遠そば」と呼ばれるようになった。
その名が逆に会津から高遠地区に伝わって「からつゆ」蕎麦を「高遠そば」とも呼ぶようになり、それに対して出汁の効いた醤油味のつゆは「あまつゆ」とも呼ぶ。

現在福島県の高遠そばは南会津郡下郷町の大内宿の名物として有名である。
当地では箸が用意されず、付け合せの長ネギを用いて食す事が特徴である。

本山そば(塩尻市)

本山宿は「そば切り発祥の地」といわれ、その所以は宝永3年(1706年)に出版された「本朝文選(風俗文選)」に『蕎麦切りといっぱ(いうのは)、もと信濃の国本山宿より出て、あまねく国々にもてはやされける』と書かれたことによる。
また、本山宿本陣では寛文10年(1670年)6月4日の大名宿泊時に蕎麦切り献上の記録も残っている。
この地域では家庭毎に蕎麦打ちの技術が伝えられていたこともあって長らく蕎麦屋が無かったが、本山手打そば振興会の手によって蕎麦屋が開店した。

ただし、日本のそば切りの発祥は歴史の節にて宝永3年(1706年)より古い文献も示されているため、本山そば説が否定されることもある。

とうじそば(松本市奈川村)

信州野麦峠周辺の旧奈川村に伝わるそば。
まるでしゃぶしゃぶのようなそば。
ラーメンのつけめんのようにそばと汁が別になる。
そばを汁に入れて(投じて)暖めて味をつけてから食する。
汁は火にかかったなべに入って(いることが多く)常時暖かくなっている。
これにそばを専用のカゴに入れて浸してから食べる。
そばを投じるためとうじそばという。
なお投汁そばが語源の説もあるがこれは登録商標になっている。
わんこそばのように、家主が次々とそばをカゴに入れて暖めて客人におなか一杯食べてもらうことが目的に発祥したとの説もある。

静岡県

茶そば(静岡県中部・西部地区)

茶を練りこんだ蕎麦。

天竜そば(浜松市佐久間町)

広域

あつもり(熱盛り・敦盛)そば(大阪府・京都府京都市・兵庫県神戸市)

「あつもり」(『蒸篭に入れて蒸した麺』、または『敦盛と「厚盛り・熱いもり」を掛けた洒落』)である蕎麦。

滋賀県

日吉そば(大津市)

坂本 (大津市)の郷土料理。
江戸時代享保年間に鶴屋喜八が坂本で開いた蕎麦屋「鶴喜蕎麦」を起源とする。
司馬遼太郎が、日吉大社の近所の「鶴喜蕎麦」を目指して来たが、間違えて屋号が「日吉そば」(同名の立ち食い蕎麦チェーン店とは無関係)の蕎麦屋に入ってしまう行が街道をゆくにある。

箱館そば・今津そば(高島市)

箱館山の麓にて、ソバ栽培地が点在しており、その地産そば粉を使用した蕎麦。

京都府

犬甘野そば(亀岡市)

犬甘野高原地帯産ソバは品質の良さから1997年(平成9年)度に社団法人日本蕎麦協会会長賞を受賞している。
その地産そば粉を使用して作った蕎麦で、つなぎに亀岡産ヤマノイモを用いたものもある。

兵庫県

出石そば(豊岡市出石)

永沢寺そば(三田市)

永沢寺周辺地域で食べられている蕎麦。
そば打ち体験にも力を入れており、そばに対する興味関心の向上を目的とした「そばまつり」が毎年秋に開催されている。

奈良県

荒神の里そば・笠そば(桜井市)

この地域はソバ栽培に適した条件が整っていたことや国営総合農地開発事業にて拡大化した農地の活用方法として1992年(平成4年)からソバ栽培に取り組み、それに伴って蕎麦屋も開店している。

和歌山県

高野そば(橋本市・伊都郡)

伊都地域の新しい特産品として、JA紀北かわかみと和歌山県農業大学校が中心となって推し進めている。

岡山県

蒜山そば(真庭市)

蒜山高原では昔からそばの栽培がされており、一時期大きく衰退した時期もあったが健康ブームなどから作付数が上向きになっている。

広島県

豊平そば(北広島町)

北広島町豊平地区(旧豊平町 (広島県))は、ソバ栽培に適した条件が整っていたこともあり出雲そばの流れを汲んだそばが細々と作られていた。
1987年(昭和62年)に地域おこしの一環として当時の豊平町長や農協を中心に町役場(当時)職員や農家や町民達によって、新たに江戸流の更科系を取り入れた白いそばによる町おこし活動が始まる。
関係者が当時山梨に在住していたそば打ち名人の元へ入門し各種ノウハウを学び重要な要素を得た。
それらを取り入れた地域おこし活動を継続して取り組んだ事により西日本有数のそばの里と称されることもあり、そこで収穫されたものを加工している。
また後継者不足の問題も表面化してきており、その対策としてそば打ちの技術や作法を習得することを目的とした「豊平流そば打ち段位認定制度」を発足させ道の駅豊平どんぐり村で実施したり、新品種「とよむすめ」の栽培を展開するなど各種活動を行っている。

島根県

出雲そば(出雲国)

割子そば(出雲地方)

「わりご」という段重ねの朱塗りの器にそばを小分けして盛り、直接薬味やつゆをかけて食べる。

釜揚げそば(出雲地方)

三瓶そば

三瓶山の山麓はソバ栽培に適した土壌で、三瓶山麓で薬用人参の栽培が安永2年(1773年)から始まると共にソバ栽培も盛んになって節目で食されるようになる。
三瓶温泉の公衆浴場が1877年(明治10年)3月に出来てそちらの献立に取り入れられた事や明治後半に三瓶高原が陸軍演習場になり兵隊に食された事で広く知られるようになった。
食糧が豊かになってきたことや農家の高齢化が進んできた事で昭和30年代後半にはソバ栽培が衰退していったが、1984年(昭和59年)地産地消の三瓶そば復活を目指した有志によって「九一そばの会」が結成され、ソバ栽培や加工が復活した。
1986年(昭和61年)農林水産省の山村振興対策事業を導入し「三瓶製めん類加工生産組合」に組織改編して拠点となる加工場を建設、蕎麦産業の中心的役割を果たしている。
割子・釜揚げ・山かけで食されることが多い。
薬味はわさび、かつお節、のり、ねぎ等(ただし、大根は使用されない)を用いる。

隠岐そば(隠岐地方)

短めで太い形状であり、つなぎは一切使用しないそば粉100%の麺。
だし汁は焼いたサバやあご(トビウオ)で取ったものを器に入れて薬味として隠岐産海苔やゆず、ごま、ネギ等(ただし、大根は使用されない)を添えて食する。
隠岐で蕎麦は節目節目で食べられており、隠岐民謡「どっさり節」(別名「そば打ち踊り」)の踊りの中に蕎麦打ちの要素が入っている。

山口県

瓦そば(豊浦町 (山口県))

徳島県

祖谷そば(旧西祖谷山村など)

祖谷地方は大きな温度差や霧が多い気候でソバの栽培に適している。
古くは平家落人の隠れ里で焼畑農業によってソバが作られ常食されていた。
つなぎは少ない、またはまったく使わないため切れやすい。
少し太めで香り高い点が特徴。
そば米(そば米雑炊)は米の代わりに殻を取り除いたソバの実を使った祖谷地方の郷土料理。

高知県

立川そば(大豊町)

つなぎは無使用、または極少量使用とそば粉で打った蕎麦が特徴。

福岡県

弁城そば(福智町)

1996年(平成8年)に農業で地域活性化を目指した「福智町農業総合プロジェクト」が発足し、その一環でそばが注目され2001年(平成13年)から本格的なソバ栽培に取り組む。
同時にそばの花観賞と手打ちそば食体験を中心として農業と地域の活性化を目的とした「そばの花フェスタ」が毎年開催されている。

佐賀県

三瀬そば(佐賀市)

1990年、三瀬村に初のそば専門店が開店。
3年程で軌道に乗った事や口コミによって認知度が広がり多くのリピーターが訪れることとなる。
その影響で、ここ近年で続々と蕎麦屋が誕生し「そば街道」と呼ばれる新名所になっている。

熊本県

阿蘇そば(阿蘇市)

波野村、南阿蘇村を中心に阿蘇の各地でソバ生産とそば料理の提供に取り組んでいる。

宮崎県

新富そば(新富町)

1988年(昭和63年)頃、昔からあった在来種を栽培していた農家と、水田の裏作として栽培していた個々の農家が集まり協議会活動を開始、本格的な蕎麦栽培が広がり始めたが収穫量は少ない。

椎葉そば(宮崎県椎葉村)

椎葉村の地城産品の一つである。

鹿児島県

小薄そば(鹿屋市)

つなぎとして大量のヤマノイモ(山芋)を入れることにより、細く切った麺でも腰が強く千切れ難い。

薩摩そば(鹿児島市)

つなぎに自然薯を使い腰が強い。
具材にさつま揚げを用いたり薬味にネギや島蜜柑の皮等を使う。

沖縄県

沖縄そば・ソーキ概要
(沖縄県全域・ただし、そば粉は未使用)

世界の蕎麦

ソバを麺類に加工して食べる国には、フランス、イタリア、中華人民共和国、朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国・大韓民国)、ブータン、ネパールなどがある。
ただし、麺にする方法は各国、地方で異なる。
朝鮮半島の冷麺などのようにところてん式に押し出して作る、イタリアのピッツォッケリのようにのし棒で成形するなどがある。
麺ではなく、団子状にしたり、腸詰めとする。
また調理方法も茹でるのではなく焼いて食すものなどがある。
いわゆる日本の蕎麦切りもまた、前述の国々のソバ料理のように独特のものといえる。

[English Translation]