黒川能 (Kurokawa-Noh)

黒川能(くろかわのう)とは、山形県の鶴岡市に伝わる伝統芸能。
国の重要無形民俗文化財(1976年指定)。
玄人の能楽師によるものではなく、何処の能楽流派にも属さず、約450年以上前から受け継がれて来たこの地方独自の郷土芸能である。

概要
一般に黒川能と呼ばれるのは、山形県櫛引町大字黒川の春日神社の「王祗祭」で演じられる能のことを指すが、他にも3月23日の祈年祭、5月8日の例祭、11月23日の新穀感謝祭でも舞われる。
また羽黒山上の出羽三山神社で7月15日に、鶴岡城内の庄内神社でも8月15日にそれぞれ奉納上演される。

王祗祭は2月1日の夜に春日明神のよりしろである王祗様を迎え、上・下両座に祭の庭を設けて能が演じられる。
翌2日の暁には王祗様が社に帰る宮のぼりという神事があり、夕方から舞台造りの拝殿で両座立ち会いの能が行われる。
能の後は豊作祈念の大地踏がある。

使われる衣装類には山形県有形文化財に指定されている光狩衣・蜀紅の錦といった能衣装は清和天皇の御衣とされ、中には現在で言う能楽の発生初期のものと見られる能面もある。
また観世流・宝生流・金剛流・金春流の四座では既に廃曲となった謡曲や、四座では忘れられた所作も現存している。

起源伝説

起源については伝説の域を出ないが、

貞観年間(859~877年)にある事情から宮廷を抜け出し、黒川の地に身を隠した清和天皇がこの地の人情と自然を愛し、大内掛りという宮廷の秘事能を里人に教えたのが由来。

後小松天皇(室町時代)の第3皇子小川宮が世の乱れを避けて出家、龍樹宮と改名して諸国を巡歴した後温海町小名部、黒川と移った際里人に能を伝授したというもの。

の二つが伝わっている。
どちらにもそれらしい歴史的根拠は伝わっておらず、貴種流離譚の一種と見られる。
あるいは鎌倉時代からこの地方を治めた武藤氏が京から能役者を招いた事があったのが伝説の背景なのではないかともいわれる。
地元には小川宮の墓とされる皇子塚、宮の行宮跡という松樹院、清和天皇付きの牧童が建てたという牧童院などもある。

[English Translation]