不破内親王 (Imperial Princess Fuwa)

不破内親王(ふわないしんのう、723年(養老7年)頃 - 795年(延暦14年)頃)は奈良時代の皇族。
父は聖武天皇、母は夫人県犬養広刀自。
松虫姫とも言う。
同母姉に井上内親王、同母弟に安積親王がいる。

概説

739年頃、天武天皇の孫で新田部親王の子である塩焼王に嫁ぎ、氷上志計志麻呂・氷上川継の二人の息子を産む(ただし、一部には両者を同一人物とする説もある)。
764年に夫は藤原仲麻呂の乱に加わったとして処刑される。

769年、県犬養姉女、忍坂女王、石田女王らと共に孝謙天皇を呪詛し、息子の志計志麻呂を皇位に就けようとしたとして、厨真人厨女と名を改名された。
その上、平城京から追放され、志計志麻呂は土佐国に流罪となる。
771年にそれが冤罪だったと判明し、帰京する。

782年、息子の川継が謀反を起こして伊豆国に流されたのに連座し、不破内親王も淡路国へ流される(氷上川継の乱)。

その13年後の795年、淡路から和泉国に移されたのを最後に、史料上での消息が途切れる事から、この頃に亡くなったものと思われる。

死後、現在の千葉県印旛郡印旛村にある、松虫寺に遺骨を納めたという言い伝えがある。
また、この松虫寺については、次のような言い伝えがある。
不破内親王がらい病を患ってしまった際、夢の中に現れた薬師如来のお告げにより、下総国へ出向いた。
そして印旛地方のある寺に、夢に現れた薬師如来があったという。
内親王はそこで療養をしたところ、回復した。
聖武天皇はそれを喜び、その薬師如来がある寺を改築して、松虫寺とした。

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