元正天皇 (Empress Gensho)

元正天皇(げんしょうてんのう、天武天皇8年(680年) - 天平20年4月21日 (旧暦)(748年5月22日))は奈良時代の第44代天皇で女帝(在位:霊亀元年9月2日 (旧暦)(715年10月3日) - 養老8年2月4日 (旧暦)(724年3月3日))。
父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。
文武天皇の姉。
即位前の名は氷高皇女(ひたかのひめみこ)。
和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたまみずきよたらしひめのすめらみこと)である。
日本の女性天皇としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。
また、歴代天皇の中で唯一、母から娘へと女系での継承が行われた天皇でもある(ただし、父親は男系男子の皇族である草壁皇子であるため、男系の血統は維持されている)。

概要
弟・文武天皇の子である首(おびと)皇子(後の聖武天皇)がまだ若い為、母・元明天皇から譲位を受け即位。
「続日本紀」にある元明天皇譲位の際の詔には「天の縦せる寛仁、沈静婉レンにして、華夏載せ佇り」とあり「慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい」と記されている。

710年、平城京に遷都。
これ以後、794年の平安京遷都までを奈良時代と区分する。

養老元年(717年)から藤原不比等らが中心と成って養老律令の編纂を始める。

養老4年(720年)に、日本書紀が完成した。
またこの年、藤原不比等が病に倒れ亡くなった。
翌年長屋王が右大臣に任命され、事実上政務を任される。
長屋王は元正天皇のいとこにあたり、また妹・吉備内親王の夫であった。
不比等の長男藤原武智麻呂は中納言、次男藤原房前(ふささき)は、未だ参議(その後内臣になる)であった。

養老7年(723年)、田地の不足を解消するために三世一身の法が制定された。
これにより早くも律令制は崩れ始めていく。

養老8年/神亀元年2月4日 (旧暦)(724年3月3日)、皇太子(聖武天皇)に譲位した。
退位の詔では新帝を「我子」と呼んで退位後も後見人としての立場で聖武天皇を補佐した。

天平15年(743年)、聖武天皇が病気がちで職務が取れなくなった。
上皇は改めて「我子」と呼んで天皇を擁護する詔を出した。
翌年には病気の天皇の名代として難波京遷都の勅を発している。
晩年期の上皇は、病気勝ちで政務が行えずに仏教信仰に傾きがちであった聖武天皇に代わって、橘諸兄・藤原仲麻呂らと政務を遂行していたと見られている。

[English Translation]