四方拝 (Shihohai)

四方拝(しほうはい)とは、宮中で行われる一年最初の儀式。

概要

平安時代初期、宮中を始源とし、これに倣って貴族や庶民の間でも行われ、四方を拝して一年間の豊作と無病息災を祈っていたが、時代を経るごとに宮中行事として残るのみとなった。

明治以前
平安時代初期の嵯峨天皇の御代に始まったとされているが、儀式として定着したのは宇多天皇の時代とされ、『宇多天皇御記』の寛平2年1月1日が四方拝が行われた最古の記録である。

その後、応仁の乱で一時中断されたが、後土御門天皇の文明7年(1475年)に再興されて以後は孝明天皇に至るまで、平安宮(現在の京都御所)清涼殿の前庭で行われた。

1月1日の寅の刻(午前4時ごろ)に、天皇が綾綺殿で黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう:みかどの朝服)を召され、清涼殿東庭に出御して天皇の属星(ぞくしょう:誕生年によって定まるという人間の運命を司る北斗七星のなかの星)、天地四方の神霊や父母の天皇陵などの方向を拝し、その年の国家・国民の安康、豊作などを祈った。

このとき唱える言葉は、「内裏儀式」・「江家次第」に掲載されている。

これらによると、賊寇之中 過度我身、毒魔之中 過度我身、危厄之中 過度我身、五危(厄とも)六害之中 過度我身、百病除癒、所欲悩心、急々如律令とある。

明治以降
明治以降は、皇室祭祀令(明治41年(1908年)皇室令第1号)によって規定された。
戦前は国の行事として行われて四方節と呼ばれ、祝祭日の中の四大節の一つとされていた。

皇室令が廃止された戦後以後においても、それに準拠して行われている。

戦後は「四方拝」と名を改め、天皇家の私的な行事として行われている。

元日の午前5時30分に、今上天皇が黄櫨染御袍と呼ばれる束帯をお召しになり、皇居の宮中三殿の西側にある神嘉殿の南の庭に設けられた建物の中に入り、伊勢神宮の皇大神宮・豊受大神宮の二宮に向かって拝礼した後、続いて四方の諸神を拝する。

この時に天皇が拝される神々・天皇陵は伊勢神宮、天神地祇、神武天皇・先帝三代(明治天皇の伏見桃山陵、大正天皇の武蔵陵墓地、昭和天皇の武蔵陵墓地)の各山陵、武蔵国一宮(氷川神社)・山城国一宮(賀茂別雷神社と賀茂御祖神社)・石清水八幡宮・熱田神宮・鹿島神宮・香取神宮である。

四方拝の起源
陰陽道を始源とするとも、中国起源を持つとも言われるが両者共に明確な経緯を示す資料は無い。

陰陽道自体が中国の学問、思想、呪術、祭祀等を包括して体系化したものである為、日本に取り入れた中国の諸文化を元に日本流に昇華させた文化行事であると言うのが正確であると思われる。

[English Translation]