四辻宮 (Yotsutsujinomiya family)

四辻宮(よつつじのみや)は鎌倉時代に存在した宮家の一つ。
宮内庁にも公式に認められた史上初めての世襲宮家。
史料により3代目までは確認できるが、以後の子孫は不明で、事実上断絶した宮家として扱われている。

略歴
初代・善統親王
善統親王は順徳天皇が佐渡島に流刑になった後の天福 元年(1233年)に生まれた皇子で、時期ははっきりしないが上洛して祖母・修明門院のもとで成長し、親王宣下を受け、建長3年(1233年)に祖母から七条院領を相続した。
その後、祖母の住まいであった一条通万里小路通にあった御所「四辻殿」を相続したらしく、以後「四辻宮」と呼ばれるようになった。
弘安3年(1280年)、正応2年(1289年)5月の2回に渡り七条院領を後宇多天皇に進献したが、正和3年(1314年)7月に後醍醐天皇から一部(17カ所)を還付される。
正応元年(1291年)5月に善統親王は出家したが、以後は「四辻入道親王」と呼称される。
文保元年(1317年)3月、85歳で薨去。

二代・尊雅王
『通玄寺志』によると父に引き続き「四辻宮」を名乗っていたことが分かるが、生没年など詳細は不明である。

三代・善成王
延文元年(1356年)に臣籍降下し「源善成(四辻善成)」を名乗るが、以後も「四辻宮」をなのっていたという(『後愚昧記』)。
臣籍降下後も親王宣下されることを望んでいたがかなわず、応永2年(1395年)出家した。

善成王以後は子孫、邸宅、所領の相続など不明であり、「四辻宮」を名乗る人物も未詳である。

[English Translation]