天皇誕生日 (Emperor's Birthday)

天皇誕生日(てんのうたんじょうび)は、日本の国民の祝日の1日である。
今上天皇(在位中の天皇)の誕生日を祝う日である。
第二次世界大戦敗戦までは、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた。
平成になってからは12月23日である。
皇居において一般参賀が行われる。

歴史
天長節の名は古く、唐は玄宗 (唐)皇帝の誕生日を天長節と祝った事に由来する。
天平元年(729年、中国暦開元17年)に「千秋節」と改められたが、20年後の天宝 (唐)7年には「天長節」に改められた。
「天長」は老子の「天長地久」よりとられている。

日本においては27年後の宝亀6年(775年)の光仁天皇の時代、10月13日に天長節の儀がとりおこなわれた。
臣下は天皇の好物の酒を献上し、宴を賜ったという(「是日天長大酺群臣献翫好酒食宴畢賜禄有差」)。
(これにさきだち同年9月11日に「十月十三日是朕生日毎至此辰威慶兼集宜令諸寺僧尼毎年是日転経行道海内諸国竝宜断屠内外百官賜酺宴一日仍名此日為天長節庶使廻斯功徳虔奉先慈以此慶情普被天下」と勅が下された)。
このことは宝亀10年の記録にも見受けられ、平安時代においても行われていたようである。
室町時代には御湯殿上日記の記述にも祝われたことが伺える。

国家の祝日として表舞台に舞い戻るのは、明治元年9月22日_(旧暦)(1868年11月6日)に天長節として祝ったときである。
(同年8月26日には太政官布告で「九月二十二日ハ聖上ノ御誕辰相当ニ付毎年此辰ヲ以テ群臣ニ酺宴ヲ賜ヒ天長節御執行相成天下ノ刑戮被差停候偏ニ衆庶ト御慶福ヲ共ニ被遊候思召ニ候間於庶民モ一同嘉節ヲ奉祝候様被仰出候事」と布達された)。
明治2年9月には各国公使を延遼館に呼び寄せ、酒饌を賜った。
明治3年9月には諸官員、非職員、華族などの拝賀があった。
勅任官は禁中で、奏任官以下は各官省で酺宴を賜った。
諸軍艦で祝砲がうたれた。
天長節の儀礼が整ったのは明治5年で、同年の天長節の勅語で「茲ニ朕カ誕辰ニ方リ群臣ヲ会同シ酺宴ヲ張リ舞楽ヲ奏セシム汝群臣朕カ偕ニ楽シムノ意ヲ体シ其ノ能ク歓ヲ尽セヨ」と宣した。
ついで奏任官以上の総代として太政大臣三条実美が、華族総代として従一位中山忠能がそれぞれ奉答した。
明治6年(1873年)の太陽暦採用後、11月3日に変更。
明治6年10月14日の太政官布告によって国家の祝日と規定された。
その後、即位した天皇の誕生日にあわせて天長節が定められた。
戦前は新年・紀元節・明治節ともに四大節の一つとして、盛大に奉祝されていた。

なお、皇后の誕生日は地久節(前述天長地久から対比となっている)と呼ばれるが、戦前においても国家の祝日にはなっていない。

戦後、天皇誕生日として国民の祝日と定められ現在に至る。
また、国民の祝日に関する法律を立法するに先立って行われた、「希望する祝日」の政府の世論調査では、「新年」に次いで「天皇陛下のお生まれになった日」が第2位であった。

天皇誕生日の日付
天皇誕生日と天長節は内容的にほぼ同じものであると考えて間違いはない。
しかし、天長節については実際の誕生日からこれを祝う日(祝日)を移動する場合もあった(大正天皇の場合。同様の例はイギリスの女王誕生日Queens Official Birthdayがある)。
現在では祝日法において天皇誕生日は「天皇の誕生日を祝う」と定められており、実質上天皇誕生日と天皇誕生祝日の分離は困難であると思われる。

なお、現在の日本では国民の祝日に関する法律によって、月日に基づき天皇誕生日が定められている。
そのため皇位継承によって自動的に祝日となるわけではなく、前代天皇の誕生日と今上天皇の誕生日が異なる場合、国会で祝日法を改正をする必要がある。

歴代天皇の天長節・天皇誕生日

明治天皇の誕生日は昭和2年(1927年)に明治節という祝祭日となった。
なお戦後は同じ日が国民の祝日「文化の日」となったが、これは昭和21年(1946年)の11月3日に日本国憲法が公布されたことに由来し、明治節とは関係なく定められたということになっている。
ただし、当時の首相である吉田茂は、憲法制定のスケジュールを、当初は8月11日公布、2月11日(紀元節)施行とし、その日程に間に合わなかったことから11月3日(明治節)公布、5月3日施行にしており、意図的にそれまでの祝祭日祝日に日程を合わせている。

昭和天皇の誕生日は、平成元年(1989年、昭和64年)に祝日法の改正で「みどりの日」とされ、国民の祝日として残された。
さらに平成19年(2007年)からは「みどりの日」から「昭和の日」と名称が変更された(「みどりの日」は5月4日に移動)。
昭和天皇の天長節は昭和2年3月3日、勅令で4月29日と制定された。
戦前はこの日は観兵式が行われた。
宮中、豊明殿では宴会があり、お召しにあずかった者は宮中席次第一階ないし第三階第二十七の者ならびに勲一等雇外国人および伯、子、男爵ならびに大日本帝国駐剳各国大使、公使であった。
昭和天皇親臨のうえ勅語を賜った。
内閣総理大臣、ついで大使、公使の首席が奉答の辞を述べ、聖寿の無疆を祝した。

なお、大正天皇については実際の誕生日は8月31日で、大正2年(1913年)まではこの日に天長節が祝われた。
しかし、翌年以降は、盛暑の時期のために各種の行事催行が困難であることに配慮し、2か月後の10月31日を天長節祝日とした。
大正天皇の場合には、崩御後に誕生日および天長節を祝日とすることがなかったために、現在にいたるまで祝日とはなっていない。

行事

宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行なわれる。

伊勢神宮などの神社では天長祭が行なわれる。

海外の日本大使館では天皇誕生日祝賀レセプションが行なわれる。
(当日ではない)


「天長節」 (作詞:黒川真頼(まより)、作曲:奥好義):明治26年(1893年)「祝日大祭日唱歌」として制定。

[English Translation]