孝昭天皇 (Emperor Kosho)

孝昭天皇(こうしょうてんのう、懿徳天皇5年(紀元前506年)- 孝昭天皇83年8月5日 (旧暦)(紀元前393年9月5日))は、『古事記』『日本書紀』に伝えられる第5代の天皇(在位:孝昭天皇元年1月9日 (旧暦)(紀元前475年2月21日) - 同83年8月5日 (旧暦)(紀元前393年9月5日))。
和風諡号は観松彦香殖稲尊(みまつひこかえしねのみこと)・御真津日子訶恵志泥命(『古事記』)。
いわゆる欠史八代の一人で、実在しない天皇と捉える見方が一般的である(実在説もある)。

皇居
都は掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや。
現在の奈良県御所市池之内か)。
ただし、『古事記』には「葛城掖上宮」とある。

事績
特に記録されていない。
懿徳天皇22年(紀元前489年)2月12日 (旧暦)に立太子、孝昭天皇元年(紀元前475年)1月 (旧暦)に即位した。
在位83年で崩御。
『日本書紀』に114歳、『古事記』には93歳とある。

御陵
掖上博多山上陵(わきがみのはかたのやまのえのみささぎ)に葬られた。
現在、同陵は奈良県御所市三室に所在する俗称「博多山」(山形墳)に比定される。

[English Translation]