彦主人王 (Hikoushio)

彦主人王(ひこうしおう・ひこうしのおおきみ、生没年不詳)は、5世紀の皇族(王族)。
斯王(うしのおおきみ)とも。
父は乎非王(おいのおおきみ)で、母は久留比売命。
応神天皇の玄孫に当たる。
垂仁天皇の7世孫とされる振媛命(ふりひめのみこと。父は乎波智君)を妃とし、男大迹王(おおどのおおきみ、後の継体天皇)を儲けた。

『日本書紀』や『釈日本紀』に引く「上宮記」。
その、逸文によれば、彦主人王は近江国高島郡におり、三国坂中井(福井県坂井郡)の振媛を娶って男大迹王を生んだ。
しかし、子が幼少のうちに彦主人王は薨去。
振媛は高向(坂井郡丸岡町)に帰郷して、男大迹王を養育したという。
506年、武烈天皇が継嗣なく崩御したため、57歳の男大迹王は大伴金村や物部麁鹿火らの推薦があり。
それにより、大王として擁立された(継体天皇)。
記紀は継体を応神天皇の5世孫としている。
「上宮記」には、「凡牟都和希王(応神) ― 若野毛二俣王 ― 大郎子(意富富杼王) ― 乎非王(私斐王) ― 斯王 ― 乎富等大公王(継体)」の文章系譜が記される。
しかし、即位の正統性を主張するための作為と見做す説も根強くある。
実際の出自を息長氏などの地方豪族に求める説も有力となっている。

なお、滋賀県高島市安曇川町には彦主人王の墓と伝える田中王塚古墳(円墳・径58m、俗称ウシ塚)が所在する。
それは、陵墓参考地として宮内庁が管理している。
が、同市鴨の稲荷山古墳(前方後円墳・全長45m、仮葬陵ともいう)を墓とする別伝もある。

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