後の三房 (Nochi no Sanbo (三房))

後の三房(のちのさんぼう)とは、鎌倉時代末期より南北朝時代にかけて、後醍醐天皇の側近として仕えた北畠親房・万里小路宣房・吉田定房の3人の事。
平安時代の白河天皇に仕えた名前に「房」の字が付く3人の賢臣(藤原伊房・大江匡房・藤原為房)が、「前の三房」と称された事に因んで命名された。

いずれも、後醍醐天皇の信頼が厚い賢臣であり、彼らの家柄では通常考えられない権大納言にまで昇進して、政務に携わった。
後に親房は源氏長者に、定房は内大臣に昇る。

だが、信頼が厚い賢臣が直ちに後醍醐天皇の忠臣であったかと言えばやや疑問も残る。
元弘の変で後醍醐天皇が流されて持明院統の光厳天皇が在位していた時期には、3人とも新天皇に仕えている(ただし、既に出家していた親房の場合は嫡男の北畠顕家が出仕。
だが、当時の公家社会では良く見られる現象でもあった)。
また、親房が『神皇正統記』で後醍醐天皇の建武の新政を痛烈に批判している事や、定房が武力討幕に反対して元弘の変における天皇の挙兵計画を鎌倉幕府に密告している事は良く知られている。
宣房に至っては息子・万里小路藤房が後醍醐天皇へ行った諫言が受け入れられずに出奔してしまうと、天皇と袂を分かっている。

「三房」と称された3人はそれぞれのやり方で後醍醐天皇に忠義を尽くそうとしたと考えられるが、個性的な天皇のやり方についていけなかったのもまた事実のようである。
それでも、親房と定房は最終的に吉野朝廷の一員としてその生涯を終えている。

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