春日大娘皇女 (Princess Kasuga no Oiratsume)

春日大娘皇女(かすがのおおいらつめのひめみこ)は、記紀に伝えられている皇族。
『古事記』では春日大郎女。
雄略天皇の娘で、仁賢天皇の皇后。
母の名は『日本書紀』に春日臣深目の娘・童女君とある。
『日本書紀』では仁賢天皇との間に高橋大娘皇女、朝嬬皇女、手白香皇女(継体天皇の皇后・欽明天皇の母)、樟氷皇女、橘皇女(橘仲皇女、宣化天皇の皇后)、武烈天皇、真稚皇女を生んだとされる。
『古事記』では高木郎女、財郎女、久須毘郎女、手白髪郎女、小長谷若雀命、真若王とある。

『日本書紀』によると、雄略天皇は采女の童女君がたった一夜で身ごもったために、生まれた春日大娘皇女が自分の娘であるかどうかを疑い、養育されなかった。
あるとき物部目大連 (古代日本)が庭を歩く女の子の姿を見て、天皇の姿によく似ていると述べた。
天皇はそれで、彼女の母が一夜で身ごもったのは異常であるため、自分の娘であるか疑っていると答えた。
物部目大連は天皇に一夜のうちに何度童女君を召したかを尋ねた。
天皇は7度召したと答えた。
物部目大連は天皇を諌めて、身ごもりやすい人は褌が体に触れただけで身ごもりますと述べた。
そこで天皇は女の子を皇女とし、母の童女君を妃とした。

この話は『古事記』には見られず、雄略天皇の系譜部分にも母・娘ともに名を欠いている。
仁賢天皇の段に皇后として名が挙げられるにとどまっている。
なお、『古事記』において皇族出身の皇后の出自が、父である天皇の系譜で明らかでないのは、春日大娘皇女の他は、宣化天皇の皇后・橘仲皇女のみである。

しかしながら娘の手白香皇女は、継体天皇の皇后となり、欽明天皇を産んでいる事から、春日大娘皇女は父・雄略天皇の血筋を唯一現在まで伝える存在となった。
この事から、春日大娘皇女は父・雄略天皇の血筋を唯一現在まで伝える存在となった

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