是忠親王 (Imperial Prince Koretada)

是忠親王(これただしんのう、天安 (日本)元年(857年) - 延喜22年11月22日 (旧暦)(922年12月13日))は平安時代前期の皇族。
光孝天皇の子、母は班子女王。
同母弟に是貞親王・宇多天皇がいる。
子に忠望王・源正明・姣子女王らがおり、源氏及び平氏の祖となる。

是忠王時代の貞観 (日本)12年2月14日 (旧暦)(870年3月19日)に弟の是貞王や異母兄弟とともに臣籍降下して源 是忠(みなもと の これただ)と名乗った。
元慶元年1月3日 (旧暦)(877年1月20日)に散位から従五位上に授けられる。
侍従・衛門府を歴任して父・光孝天皇が即位した直後に元慶8年4月13日 (旧暦)(884年5月11日)に二世源氏から一世源氏に改められて左京一条に貫せられた。
この時、同母弟の定省王(宇多天皇)及び同母妹3名も臣籍降下している。
5月29日 (旧暦)(6月25日)に正四位下を授けられ、6月8日 (旧暦)(7月4日)に参議に任ぜられた。
仁和元年1月16日 (旧暦)(885年2月4日)に近江国を兼務して後に陸奥出羽按察使に移る。
寛平3年(891年)に中納言に進むが、同年に既に皇族復帰、即位していた宇多天皇の同母兄弟の皇族復帰が決定されて、光孝天皇第一皇子として三品親王に叙された。
延喜元年(901年)に薨去した本康親王の後任として式部卿に任ぜられ、後に一品親王を授けられた。
延喜20年(920年)に出家して2年後に病気で薨去。

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