桂離宮 (Katsura Rikyu (Katsura Imperial Villa))

桂離宮(かつらりきゅう)は京都市西京区桂にある離宮(離宮とは皇居とは別に設けた宮殿の意)である。
江戸時代初期の造営当初の庭園と建築物を遺しており、当時の(王朝)文化の粋を今に伝えている。
回遊式の庭園は日本庭園の傑作とされる。
また、建築物のうち書院は書院造を基調に数寄屋風を採り入れている。
庭園には茶屋が配されている。
もとは桂宮家の別荘であった。
宮内庁京都事務所により管理されている。

参観には宮内庁京都事務所に事前申込みが必要である(外部リンクの参観案内参照)。

歴史
桂離宮は17世紀に八条宮家の別荘として造営されたもので、書院、茶屋、回遊式庭園から成る。
近世の皇族の別荘の実態を伝えるものとして貴重である。

桂の地は、古くから貴族の別荘地として知られ、平安時代には藤原道長の別荘(当時は「別業」といった)が営まれていたという。
また、この地は風流な観月の名所としても知られていた。
桂離宮の近くの西京区松室には月読神社があり、桂の地名も中国語の「月桂」の故事から来ているという。

桂離宮は八条宮家初代の智仁(としひと)親王(1579年 - 1629年)によって基礎が築かれた。
智仁親王は正親町天皇の皇孫、後陽成天皇の弟に当たる。
智仁親王は初め豊臣秀吉の猶子となったが、秀吉に実子が生まれたため、八条宮家を創設したものである。
桂離宮の書院は「古書院」「中書院」「新御殿」の3つの部分に分かれ、このうち古書院の建設は1615年頃と推定される。
書院、茶屋、庭園などの造営は、八条宮家2代の智忠(としただ)親王(1619年 - 1662年)に引き継がれ、数十年間をかけて整備された。
八条宮家は常磐井宮、京極宮、桂宮と名前を変えた後、1881年に断絶し、桂離宮は1883年から宮内省の管轄になった。
第二次世界大戦後は、宮内庁が管理している。

建物と庭園
古書院、中書院、新御殿はいずれも入母屋造、柿葺(こけらぶき)で、書院造を基調としているが、古書院の縁側などには数寄屋風の要素も見られる。
古書院縁側からさらに張り出した竹簀子(すのこ)のベランダ状のスペースは「月見台」と称され、桂離宮の主要テーマが観月にあることを示している。
中書院と新御殿の水墨画主体の障壁画は、江戸幕府御用絵師・狩野探幽一門によるものである。
新御殿上段の間の「桂棚」は天下三棚の一つとして知られる(他に修学院離宮、醍醐寺三宝院)。

回遊式庭園には、桂川の水を引いた池を中心に、茶屋、築山、州浜、橋、石灯篭などを配している。
茶屋は松琴亭(しょうきんてい)、賞花亭(しょうかてい)、笑意軒(しょういけん)、月波楼(げっぱろう)の4棟があり、他に持仏堂の園林堂(おんりんどう)がある。

評価
昭和始めにドイツから亡命したブルーノ・タウトが「泣きたくなるほど美しい」と絶賛し、装飾を排した簡素な建築美はモダニズム建築の造形美にも通じるとして評価された。
同時代の建築である日光東照宮と対比されることも多い。

[English Translation]