眞子内親王 (Imperial Princess Mako)

眞子内親王は、日本の皇族。

秋篠宮文仁親王の第一女子の眞子内親王(まこないしんのう、平成3年(1991年)10月23日 -)。
本項で記述する。

仁明天皇の皇女の眞子内親王(さねこないしんのう、生年不詳 - 貞観 (日本)12年5月5日 (旧暦)(870年6月7日))。
母は更衣 (女官)・紀種子。

眞子内親王(まこないしんのう、1991年10月23日 -)は、日本の皇族。
秋篠宮文仁親王と文仁親王妃紀子の第一女子。
明仁の孫にあたる。
身位は内親王。
皇室典範における敬称は殿下。
お印は木香茨(もっこうばら)。
妹に佳子内親王、弟に悠仁親王がいる。

略歴
平成3年(1991年)10月23日、宮内庁病院にて誕生。
同日、皇室の儀式。
この時に明仁から授けられた守り刀は、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された隅谷正峯の作。

同年10月29日、命名の儀。
父の秋篠宮文仁親王により、「眞子」と名付けられる。
この名は、「天性のものを失わず自然に、飾ることなく、ありのままに人生を歩む」願いを込めて命名された。

平成10年(1998年)4月、学習院初等科入学。
平成16年(2004年)3月、学習院初等科卒業。

同年4月、学習院女子中等科入学。
平成18年(2006年)8月、2週間に渡ってオーストリアにホームステイをした。
ホームステイ先は母・紀子妃の知人宅であった。
平成19年(2007年)3月、学習院女子中等科卒業。

同年4月、学習院女子高等科入学。

平成17年(2005年)頃からは、日本国内を中心として両親の公務、接見に同行・同座することが多くなり、最年長の内親王として国民の前に姿を現す機会も増えている。
平成18年(2006年)には父・秋篠宮文仁親王の三重県訪問に同行し伊勢神宮神宮式年遷宮の行事「神宮式年遷宮御木曳行事」を視察し、自ら行事に参加した。
平成20年(2008年)からは単独公務も開始している。

逸話

明仁の初孫であるため、幼年期は報道、ワイドショーへの露出も多かった。
また、この時期は警備にも多数の人員が割かれていたという。

平成5年(1993年)夏、軽井沢静養の折り大型犬が紀子妃に抱かれた眞子内親王の眼前まで飛び上がり、驚いた飼い主に対し紀子妃が「お友だちになりたいのね」と咄嗟にフォローしたことがある。
この犬とは翌年以降も交流が続いた。

平成7年(1995年)5月、葉山静養の折り、海岸で眞子内親王が海蛇に関心を示し父・秋篠宮にしきりに尋ねる映像がある。
幼少時のエピソードの中でも有名なもので、皇室特番・ニュースでも頻繁に紹介されている。

美術、古文書、建築物などに関心がある。
特に日本画に関心が深く、学習院初等科を卒業した時の作文には正倉院、唐招提寺、京都御所において美術を鑑賞し、奈良鳥類研究所において鳥を描く際の心得についての指導を受けた出来事が記されている。
同作文においては、修復技術への関心もうかがわせた。

皇后美智子の手がける養蚕を、母・文仁親王妃紀子や妹・佳子内親王と共に手伝っている。
皇后御親蚕において小石丸から採取された糸から作られた絹は皇族が儀式に用いる着物に用いられ、内親王も瑞獣であるツルをあしらった晴れ着を着用した。

同様に平成8年(1996年)から、妹とともに祖父・今上天皇の稲作も手伝っている。

インターネット上での人気が高く、話題となったことがある。

ジャニーズ事務所のファンと言われ、そのコンサートに行ったとするゴシップ記事が掲載されたこともあったが、平成20年(2008年)9月26日になって、テレビ番組での報道と併せ、コンサートに行った事実が宮内庁発表により否定された。

名前についての備考
報道などでは「秋篠宮眞子」と呼称されることが多いが、公式には宮家の当主ではないため「秋篠宮」の宮号は冠せず「眞子内親王」と称するのが正しい。
但し自署においても「秋篠宮眞子内親王」とした例がある。

なお、新字体による「真子」の表記は、通俗用法としても用いられる例は見られない。

[English Translation]