能登内親王 (Imperial Princess Noto)

能登内親王(のとのひめみこ、のとないしんのう、天平7年(733年) - 天応 (日本)元年(781年)2月17日 (旧暦))は、奈良時代の皇族。
光仁天皇第一皇女。
桓武天皇の同母姉。

経歴

733年、白壁王(後の光仁天皇)の王女として平城京に誕生。

母は高野新笠(『続日本紀』による。
『本朝皇胤紹運録』では母を井上内親王と記しているが誤伝)。

天智天皇皇玄孫(四世王)の市原王(いちはらのおおきみ、いちはらおう)に嫁し、五百井女王(いおいのおおきみ、いおいじょおう、生年不詳)・五百枝王(いおえのおおきみ、いおえおう、760年生まれ、のち春原朝臣の氏姓を賜与され臣籍降下)を儲ける。

市原王と死別。

770年 父白壁王が即位。
内親王となり、四品に叙せられる。

776年 三品に昇叙。

781年2月17日 薨去。
一品の位を贈られる。
内親王の薨去に際し、光仁天皇は五百井女王・五百枝王を二世王として優遇する詔を発した(本来は五世王であるが、天皇の外孫のため格別に二世王(皇孫)として処遇することにした)。

内親王薨去後、父天皇も俄かに病気がちとなり、同年4月に譲位、12月に崩御した。

[English Translation]