茅渟王 (Chinu no Okimi)

茅渟王(ちぬのおおきみ・ちぬのみこ、生没年不詳)は、6世紀後半から7世紀にかけての日本の皇族(王族)。
茅渟皇子、智奴王とも。
押坂彦人大兄皇子(敏達天皇の皇子)の王子で、母は漢王の妹・大俣王。
舒明天皇の異母兄に当たる。
桜井皇子(欽明天皇の皇子)の女・吉備姫王(きびひめのみこ、吉備島皇祖母命)を妃とし、宝女王(皇極天皇, 斉明天皇)・軽王(孝徳天皇)を儲けた。

茅渟王はその名が系譜に現われるのみで、事績は全く伝わっていない。
歴史学者の塚口義信氏は、『新撰姓氏録』左京皇別に見える百済王 (皇族) (百済親王)に同一人としているものの、確かとは思われない。
『延喜式』諸陵寮によれば、片岡葦田墓(かたおかのあしたのはか)に葬られたとされ、塚口氏は奈良県香芝市の平野塚穴山古墳(方墳・辺18m、国史跡)をそれに当てている。

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