西園寺公子 (SAIONJI Koshi)

西園寺 公子(さいおんじ こうし、1232年(寛喜4年) - 1304年3月6日(嘉元2年1月21日 (旧暦)))は鎌倉時代の女性。
後深草天皇の中宮。
女院号は東二条院、法名は円鏡智。

父は西園寺実氏、母は四条貞子(四条隆衡女)。
後嵯峨天皇の猶子。
後嵯峨天皇の中宮で後深草・亀山天皇の母である西園寺きつ子は7歳年上の姉。
後深草天皇との間には3女が生まれており、そのうちれい子内親王は後宇多天皇妃となった。

1246年(寛元4年)、従三位に叙任。
1256年(康元元年)、後深草天皇に入内し女御となり、その翌年に中宮に冊立される。
1259年(正元元年)、夫の退位に伴って院号宣下し東二条院と称する。
1293年(永仁元年)に出家。
1304年(嘉元2年)、73歳で死去。

夫・後深草天皇より11歳年上であり、「とはずがたり」では「嫉妬深い女性」との表現がなされている。

[English Translation]