佐伯氏 (Saeki Clan)

佐伯氏(さえきし)は古代日本の有力氏族である。

概要
中央伴造として佐伯部を率い、宮門警備や武力勢力として朝廷に仕えた。
因みに警備を担当した宮門は、氏族名から「佐伯門」と名付けられたが、平安宮では唐風文化の影響から、「さへき」に音通する「藻壁門」と改められた。
カバネは初め「連」であったが、天武天皇13年(685年)に同族の大伴氏等とともに「宿祢」を賜姓された。
奈良時代以降、たびたびの政争に巻き込まれ(「関連項目」を参照)、そのたびに一族から処罰される者を出した事なども影響し、徐々に衰えた。

出自
天孫降臨の時にニニギを先導した天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、神別氏族である。
大伴室屋の時に大伴氏から別れた氏族である。

読みと字義
王権に仕え、宮廷警備等の任につくようになった後、外敵からの攻撃を「遮(さへ)ぎる者」という意味で「さへき」と呼ばれるようになったとの説がある。
後世「さへき」が「さえき」と訛り、更に「さいき」に訛った地域もある。
また、「佐伯」は「伯(尊い者)」を「佐(たすけ)る」という意味の当て字であろうとの説もある。

同族
佐伯造
佐伯造(-みやつこ)は、『新撰姓氏録』右京神別上に見え、旧姓は「佐伯部」。
『日本書紀』によれば、市辺押磐皇子(いちのへのおしはのみこ)の舎人、佐伯部仲子(さへきべのなかちこ)の後裔で、仁賢天皇5年2月5日条に、諸国の佐伯部を集めて管掌にさせたとある。

佐伯首
佐伯首(-おびと)は、『新撰姓氏録』河内国神別に見える。

[English Translation]