倉橋家 (Kurahashi Family)

倉橋家(くらはしけ)は、阿倍氏土御門庶流の堂上家、家格は、半家 (公家)。

慶長17年(1612)、安倍晴明の末裔である陰陽頭(従三位・非参議)・土御門久脩の次男・泰吉が分家して「倉橋」を称したのにはじまる。

「倉橋」とは遠祖・安倍倉橋麻呂の名に因んだと言われている。

初代・民部卿・倉橋泰吉以降、代々陰陽道を業とし、江戸時代の石高は、150石であった。
10代当主の治部卿・倉橋泰聡で明治に至り華族に列し子爵に叙せられた。

家紋は、土御門家に倣い「蝶」、菩提寺は「真如堂」。
居所は「堺町御門外」とした。

[English Translation]