六条家 (Rokujo Family)

六条家(ろくじょうけ)は、日本の氏族(公家)。

藤原北家藤原末茂流。

村上源氏中院家流。

六条家(藤原氏)

六条家(ろくじょうけ)は、日本の公家。
藤原北家末茂流で、四条家と同じ系統に属する。
藤原氏なので「六条藤家」とも称する。
平安時代後期の正三位修理職藤原顕季(1055年-1123年)を祖とする和歌の家である。
家名は顕季の邸宅が平安京内の六条烏丸にあったことに由来する。
顕季は白河天皇の乳母の息子で、長じては白河法皇の院の近臣となり、政界及び歌壇の実力者となった。
顕季の子孫である藤原顕輔・藤原清輔・藤原重家 (刑部卿)らはいずれも歌人・歌学者として名をなした。
しかし鎌倉時代に入ると、御子左家の興隆によって衰退し、南北朝時代 (日本)に断絶した。

六条家(村上源氏)

六条家(ろくじょうけ)は、日本の公家。
村上源氏中院流の庶家で、太政大臣久我通光の5男・六条通有を始祖とする。
家格は羽林家。
家紋は丸に笹竜胆。

通有の子、内大臣六条有房(1251年-1319年)は後宇多天皇の近臣となり、その子の中納言六条有忠も大覚寺統の公家として活動した。
有房・有忠父子は歌人・書道家としても有名で、彼らの遺した作品は古筆家の間で重んじられている。
有忠の子の六条有光は六条家で唯一人の源氏長者(奨学院・淳和院両別当)になっている。
ちなみに、後醍醐天皇の忠臣として名高い千種忠顕は有忠の子(有光の兄弟)である。
戦国時代 (日本)に家系は一時中絶したが、冷泉家から中納言六条有広(冷泉為純の子。1564年 - 1616年)が入って家を継いだ。
江戸時代の家禄は265石。
幕末の従一位中納言六条有容は議奏に任じられた。
明治維新後、六条有熙が子爵となった。

[English Translation]