坊城家 (Bojo family)

坊城家(ぼうじょうけ)は、名家 (公家)の家格を有する公家。
藤原北家勧修寺流。
小川坊城とも称する。
家業は紀伝道と装束。
家紋は竹に雀。
江戸時代の家禄は180石。
伯爵。

鎌倉時代に吉田経俊の子・坊城俊定を祖として創設されたといわれているが、俊定の子である坊城定資の長男坊城俊実(俊定の孫にあたる)を祖とする説もある。
戦国時代 (日本)末期、一時期中絶したが、後に勧修寺晴豊の三男、坊城俊昌が入って再興された。

1884年(明治17年)坊城俊章(としあや)が伯爵を授けられる。
俊章は貴族院_(日本)、陸軍少将、山形県知事などを務めた。
坊城俊良は侍従、皇太后宮大夫、伊勢神宮宮司を務めた。
坊城俊民(としたみ)は東京都立高等学校の教諭、校長を歴任。
1951年(昭和26年)以来、宮中で行われる歌会始の講師(こうじ)を務め、披講会会長を務めた。

坊城俊周、坊城俊成も歌会始の講師を務めている。
俊成(建築家)は一時期、明仁の第一皇女、紀宮清子内親王(現:黒田清子)の結婚候補としてマスコミに名前が取り上げられ話題となった。

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