広幡家 (Hirohata Family)

広幡家(ひろはたけ)は、清華家(新家、内々)の家格を有する公家。
桂宮家の分家。
本姓は源氏。
家系は豊臣秀吉の猶子となった八条宮智仁親王から始まる八条宮家の流れをくむ正親町源氏(おおぎまちげんじ)の家系である。
明治17年(1884年)に制定された華族令により1884年7月7日に侯爵に叙せられた。
家禄は500石。
(当初は1,000石だった。1669年、忠幸の薨去で男子がおらず断絶するところであったが、同じく源氏で清華家の家格を有する久我家から養子継承が許された。その時500石に半減らされた。)
家紋は十六葉裏菊。
官位は従一位内大臣を極官とした。

概要

江戸時代前期正親町天皇の皇孫で、陽光院太上天皇誠仁親王の第6王子 八条宮智仁親王の三男広幡忠幸が寛文4年(1664年)に源氏の姓を賜り一家を創立し、広幡を称したことに始まる。
皇族に生まれた忠幸は最初、尾張藩に赴き名古屋城で暮らしていたが、のち帰洛して公家となり大納言にまで進んだ。
江戸時代の広幡家当主は代々近衛家の猶子となり偏諱を賜っている。

明治維新後、明治17年7月広幡忠礼は侯爵位を賜る。
広幡忠朝は侍従を務めた。
広幡忠隆は、逓信省に入って灯台局長、管船局長となり、さらに宮中に入り皇后宮大夫兼侍従次長を務めた。

菩提寺

本家である桂宮家と同じく相国寺塔頭慈照院が菩提寺であった。

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