広橋家 (Hirohashi family)

広橋家(廣橋家、ひろはしけ)は、名家 (公家)の家格を有する公家。
藤原北家日野家流。
家業は文学。
江戸時代の家禄は850石。
明治維新後は伯爵。

鎌倉時代初期に日野資実の弟、広橋頼資(よりすけ)によって創立された。
当初は勘解由小路とも号し、頼資の孫である広橋兼仲の日記は『勘仲記』と呼ばれている。

室町時代から江戸時代にかけては幕府との折衝役を務める者が多く、特に江戸時代には武家伝奏役を多数輩出した。

明治維新後の1884年7月8日広橋賢光(まさみつ)に伯爵の位を授けられた。
賢光は内務省 (日本)に入省し、内閣記録局長を経て、帝室制度調査局御用掛を務めた。
広橋真光(ただみつ)は千葉県知事を務めた。
夫人は、梨本宮守正王の第2王女規子(のりこ)女王。
李方子は義姉に当たる。
真光の二男、儀光(のりみつ)は一時期、梨本家を継いでいる。

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