清原氏 (Kiyohara clan)

清原氏(きよはらし)は、平安時代の氏族。
舎人親王にはじまる皇別氏族。
平安時代は中堅貴族であった。
清原深養父、清少納言などが有名。
またこの氏族の末裔との見方もある氏族に、出羽清原氏がある。

概要
天武天皇の皇子舎人親王の血筋を称する。
四世王であった小倉王の子清原夏野が、小倉王の弟石浦王の子清原長谷ともども臣籍降下して清原真人の姓を賜った。
以来、中堅貴族として活躍する。
清原深養父は歌人としても名を残す。
清原元輔の娘、清少納言は『枕草子』を著したことでも有名である。
後世、清原姓を称する氏族は下野国・紀伊国・豊後国などに分布している。

この他、神別の海氏の中からも清原姓を賜った者がおり(舎人親王の子孫であるように記す系図が多いが、これは明らかな仮冒である)、その子孫は公家の舟橋家をはじめ、庶家を多数輩出した。
清原家は漢文の注釈などを家業にする文章の家で、現在京都大学に所蔵されている清家文庫はかつてこの清原家が所持していたものである。

室町時代の清原宣賢は、吉田神社詞官神道家吉田兼倶の3男だったが、明経博士だった清原家に養子として入った。
宣賢は宮中に仕えて講義を行い、明経道を整理して多くの国学、儒学の論文著作をおこなった。
享禄2年(1529年)に宮仕えから身を引き、剃髪して環翠軒宗武と号し、学者としての活動に専念した。
国学者・儒学者で歴史上屈指の碩学とされ、多くの著作がある。
彼の著作物は現在も多く残されており、日本国学研究の基礎資料となっている。
なお、清原家は4代後の秀賢から舟橋家を称したため、清原宣賢を「船橋大外記宣賢」と記した史料もある。

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