甘露寺家 (Kanroji Family)

甘露寺家(かんろじけ)は、藤原北家高藤流勧修寺一門嫡流の堂上家、家格は、名家。

内大臣・藤原高藤(勧修寺流の祖)の曾孫である権大納言・藤原為輔が甘露寺を号したことから、為輔を甘露寺家の祖とする。

鎌倉時代の終わりまで、「吉田家」を称していたが、権中納言・吉田藤長の頃から「甘露寺」を家名とした。

甘露寺藤長以降、代々笛・儒道を家業とし、江戸時代の石高は200石であった。
42代当主の参議・甘露寺勝長で明治に至り、子孫は華族に列し伯爵に叙せられた。

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