羽柴氏 (Hashiba clan)

羽柴氏(はしばうじ)は、豊臣秀吉によって創始された一族。

本姓ははじめ平氏、秀吉の関白就任時には藤原氏となり、その後賜姓を受け豊臣氏となる。
豊臣宗家の本来の名字でもある。
また、豊臣恩顧の大名に許された称号としての役割も果たした。

概要

戦国時代 (日本)の武将である織田信長の家臣、木下藤吉郎秀吉は戦功を上げて織田家でも有数の有力家臣となった。
元亀3年から天正元年までの間に秀吉は木下氏の名字を羽柴に改めた。
羽柴姓の残る最古の文書は離宮八幡宮文書に所収された元亀4年7月20日の秀吉発給の文書である。
また、信長公記では元亀3年7月までの記述では木下藤吉郎であったが、9月以降の記述では「羽柴秀吉」となっている。
以降は秀吉の一族も羽柴を名乗るようになった。

『羽柴』の由来は織田家の重臣である丹羽長秀の「羽」・柴田勝家の「柴」の二つにあやかるよう付けられたとされている。
この名字は信長から授けられたと見られている。

織田信長の没後、秀吉は中央政権を掌握し、単に「秀吉」と記した書状を発給し始め「羽柴」と記した書状を発給することはなくなった。
7月11日には近衛前久の猶子となって関白宣下を受け、天正14年(1586年)9月9日には豊臣の姓を賜った。
秀吉、秀頼は以降単に豊臣朝臣秀吉、もしくは豊臣朝臣秀頼と名乗り、羽柴の名字は臣下の大名が使用する称号として豊臣政権に使用され続けた。
しかし慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で豊臣宗家が滅亡して以降は用いられなくなった。

慶長20年(1615年)の大坂の役の際に、秀頼と国松は死亡し、大名家としての羽柴直系は断絶。
秀頼の娘(天秀尼)が助命されたものの正保2年(1645年)の天秀尼の死で秀吉の直系血族は断絶した。

系図

実線は実子 点線は養子 家名の変化は左記の通り(木下氏→羽柴家→豊臣家)

羽柴の称号を与えられた大名ら

豊臣秀吉は天正13年の関白就任時頃より、諸大名らに豊臣・羽柴の姓を与え始めた。
二木謙一は、豊臣・羽柴の「賜姓」「授けられた」といった見方に対し、諸大名は公式には「羽柴姓」を記すことが当時の慣例であったとの推測を述べている。

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