朝堂院 (Chodoin)

朝堂院(ちょうどういん)とは古代の都城における、宮城(大内裏)の正庁。

概要

推古天皇の小墾田宮(おはりだのみや)あたりに原型が見られ、大内裏の最も重要な施設であり、大極殿、朝堂(ちょうどう)、朝集殿(ちょうしゅうでん)の3種の殿舎からなっていた。
正殿である大極殿には天子の玉座である「高御座」(たかみくら)が据えられており、儀式や謁見の際に天皇が着座した。
そこから左右に中庭(「朝庭」という)を挟むようにして朝堂が並び、南に東西朝集殿が建っていた。
平城宮の朝堂院は長安城大明宮(たいめいきゅう)含元殿(がんげんでん)の影響が濃いといわれる。
朝堂院は別名「八省院」ともいい、もとは八省の官吏が国事を執務し、天子が決裁するための官庁であった。
藤原京の頃を頂点として、次第に政事庶務の中心が朝堂院から周辺官衙に移っていき、平安京の頃にはその規模は縮小され、朝賀や即位、饗宴など、主に朝廷の盛典、儀礼に用いられるようになった。
大内裏の中心的施設であったが、たびたび焼失した。
平安時代、1177年(治承1)に焼失して以降は再建されず、その役割は天皇の私的な住まいである内裏や臨時の内裏である「里内裏」へと受け継がれていく。
ちなみに現在の高御座は京都御所の紫宸殿にある。

1895年(明治28年)に創建された平安神宮は平安京朝堂院の施設を縮小復元したものとなっており、朝堂院の正門である応天門や大極殿などがベンガラによる鮮やかな朱色塗りと瓦屋根、礎石列柱をもって復元されている。

[English Translation]