本圀寺の変 (Incident of Honkoku-ji Temple)

本圀寺の変(ほんこくじのへん・本國寺の変)とは、永禄12年1月5日 (旧暦)(1569年1月21日)に三好三人衆が京都本圀寺(当時の呼称は「本國寺」)に仮の御所(六条御所)を置いていた室町幕府征夷大将軍・足利義昭を襲撃した事件。
六条合戦とも呼ばれる。

前年9月に織田信長に擁立されて上洛して将軍に就いた足利義昭は永禄の変で焼失した御所の代わりに本圀寺を仮の御所としていた。
その後、信長は京都の安定を見計らって本拠である美濃国岐阜城に一旦帰国した。

ところが、先に信長によって京都より追放されて摂津国に逃れていた三好三人衆が京都への復権を目指して、信長不在で正月で義昭周辺の気の緩んでいるところを突いて本圀寺を攻撃したのである。

しかし、予想に反して義昭側近の細川幽斎・明智光秀らが奮戦し、更に翌日には池田勝正や三好義継・伊丹親興が救援に駆けつけたために挟撃される格好となった三好三人衆は敗走したのである。

事件の5日後に急遽京都入りした信長は、この事件の背景に堺の町衆がいると考えて、堺に矢銭を課してその自治権を制限したのである。

[English Translation]