真人 (Mahito)

真人(しんじん)は、老荘思想・道教において人間の理想像とされる存在。
仙人の別称として用いられることもある。

真人(まひと)は、八色の姓で制定されたカバネ(かばね)の一つ。
本項で詳述。

真人(まひと)は、684年(天武13)に制定された八色の姓(やくさのかばね)の一つで、最高位の姓(かばね)である。
「真人」は、貴人(うまひと)の意味とも新羅の骨品制の直訳ともいう。
基本的に、継体天皇の近親とそれ以降の天皇・皇子の子孫に与えられた。
天皇の称号が道教の天皇大帝に由来するという説とともに、この「真人」も道教由来のものとする説がある。
八色の姓のなかでは道師も道教の神学用語と重なっている。
また天武天皇の諡(おくりな)の「瀛真人」(おきのまひと)は道教の神学では「瀛州」(えいしゅう)という海中の神山に住む仙人の高級者を意味する。

真人賜姓は天武天皇が構想する皇親政治の一翼を担うものであった。
『日本書紀』の天武天皇十三年十月の条に、「守山公・路公(みちのきみ)・高橋公・三国氏・当麻氏・茨城公(うまらきのきみ)・多治比氏(たぢひのきみ)・猪名公(ゐなのきみ)・坂田公・羽田公・息長氏(おきながのきみ) ・酒人公(さかひとのきみ)・山道公、十三氏に、姓を賜ひて真人と曰ふ」とあって、これら公(きみ)姓氏族はおよそ応神天皇 ・継体~用明天皇の皇子の子孫である。
それ以降の天皇・皇子の子孫についても、奈良時代にたびたび賜姓が行われ、『新撰姓氏録』の載せる真人姓は48氏に昇る(六国史にのみ所見のものも含むと更に増加)。
しかし、時あたかも藤原氏による権勢拡大の最中で、真人=高貴という原義すら崩れ始めていたことも否めず、氷上塩焼 ・不破内親王のように一種の懲罰として賜姓される例も現れた。
この傾向は平安時代に一層強まり、802年(延暦21)良岑安世(桓武天皇の皇子)が良岑朝臣姓を賜ると、皇族や真人姓の中からも朝臣賜姓を望む者が増加。
政治的意義を失った真人姓の氏族は、次第に政界から姿を消していった。

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