勧善懲悪 (Kanzen Choaku)

勧善懲悪(かんぜんちょうあく)とは「善を勧め、悪を懲しめる」ことを意味する四字熟語である。
古典文学上の理念や倫理である。
勧懲(かんちょう)と略して使われることもある。

概要

『勧善懲悪』の文学様式は、時代劇や多くのハリウッド映画、特撮に於けるシナリオにおける典型的パターンである。
これは善玉(正義若しくは善人)と、悪玉(悪役・悪党・搾取する権力者など)が明確に分かれている。
最後には悪玉が善玉に打ち倒され、滅ぼされたり悔恨するという形で終結する。
一般にはハッピーエンドとされる形で物語は終幕を迎えるパターンである。

近世江戸時代に、儒教で見られる政治や道徳に対する思想と、江戸幕府が打ち出した政治や道徳観の教育・方針の影響を受けて生まれた理念である。
江戸時代後期の文学作品によく用いられ、特に読本や人情本、歌舞伎などの作品に多く散見される。
曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』などが、勧善懲悪の代表作品としてよく挙げられる。

一方、『小説神髄』で坪内逍遥などは、勧善懲悪を説く小説を勧懲小説と呼び、時代遅れの産物であると否定している。
なお同書中において坪内は、模写小説にて人情を著す方を尊んでいる。

対象

悪としてよく扱われるのが、一般に強大な力を保持し、平和を乱し、正義を好まない人物や組織である。
平和や正義という抽象的な概念は、人によって考え方は多様であるし、基準も曖昧である。
そのため、対象は作品によって異なるが、その時代を風刺していたり、または架空に作り上げたりと行った場合が多い。

勧悪懲悪

勧悪懲悪(かんあくちょうあく)とは、勧善懲悪において、本来であれば悪に値する存在(強盗、殺し屋、闇金、女衒など)が様々な理由(猛悪に対する正義心や義侠心の発露、仲間の裏切りや取り分の相違、権力闘争、あるいは助平心など)によって、悪と対峙する立場になり、結果的に(他方の視点からして)悪を懲らしめる。
勧善懲悪とピカレスクの融合による応用形。
義賊が典型的である。
必殺シリーズは「女たらしの按摩師」や「バイトで人斬りをする同心」が「金目当て」で悪と対峙する、というようにさらに「洗練」された形となっている。
ただし、単に双方とも悪というわけではなく、主人公側は人情が通じたり、合法的には裁けぬ悪を裁くなど心理的には善、もしくは善寄りである。
懲罰手段が悪、若しくは所属が悪と同じだけの勧善懲悪であるとも言える。
また、勧善懲悪とされるものでも、容赦なく悪人を殺し続ける場合などがあるため、勧悪懲悪との差異は明確ではない。

勧悪懲悪の例

必殺シリーズ

鼠小僧に関する諸作品

レッド・スコルピオン

- ドルフ・ラングレン主演のアメリカ映画

難波金融伝・ミナミの帝王

- とくに竹内力主演の映画・オリジナルビデオ版

ブラック・エンジェルズ

この他、『ルパン三世』のアニメ版諸作品でも、泥棒である主人公一味が結果的に一国や地球的な規模の巨悪までをも粉砕する展開が少なからず見られる。

[English Translation]