嘉喜門院 (Kakimon-in)

嘉喜門院(かきもんいん、生没年未詳)は、南北朝時代 (日本)の女院・女流歌人である。
後村上天皇の女御であり、長慶天皇・後亀山天皇の双方あるいは少なくとも一方の生母と推定されている。
正平 (日本)23年(1368年)の後村上天皇崩御後、出家し、院号宣下を受けた。
名は、江戸時代作成の系図以来、勝子(しょうし)とされることが一般的であるが、確証はない。
また、出自についても諸説あり定かではない。
琵琶の名手とも伝えられる。

出自

父は、近衛経忠とされることが多いが、阿野実為、一条経通、二条師基、坊門経忠(坊門清忠のことか?)ともいわれる。
このうち、二条師基については、実の親子ではなく、後村上天皇の女御になるにあたって猶子となったとの見解も有力である。
いずれも藤原氏であり、一条経通以外は南朝 (日本)において重きをなした人物である。
これに対し、一条経通は一貫して北朝 (日本)側にいた人物だが、長男の一条内嗣が南朝に出仕している。

『大日本史』巻85(后妃列伝12)によると、『新葉和歌集』巻16(雑1)にある、嘉喜門院が女御となるときに「福恩寺前関白内大臣」と呼ばれる人物が「禁中月」という題で詠んだ歌がある。
嘉喜門院の后(中宮)への昇格を期待する意であると解釈し、これを根拠としてこの人物を嘉喜門院の父と推定するが、それが誰なのかは未知であると述べる。
『系図纂要』は近衛経忠の子近衛経家を「福恩寺関白」とし、嘉喜門院の父とする。
また『古事類苑』帝王部も近衛経家を父と記す。
しかし、近衛経家を父と主張する説は現在は存在しないようである。

『国史大辞典』の「後亀山天皇」項では、『帝王系図』吹上本の付紙を根拠に、天皇の生母が阿野実為の娘であることをほぼ確実とする一方で、この人物が嘉喜門院と同一人物ではない可能性のあることを示唆する。
一方、嘉喜門院と阿野実為とが親しい間柄であるのは『嘉喜門院集』の成立経緯を記した冒頭部から伺われる。

歌人として

嘉喜門院の歌は、『新葉和歌集』と『嘉喜門院集』に見ることができる。
『新葉和歌集』に収録された嘉喜門院の歌17首、および、嘉喜門院との贈答歌5首の計22首は『嘉喜門院集』から採られている。

歌風は、オーソドックスな二条流で、哀愁を帯びたものが多い。
『新葉和歌集』の撰者である宗良親王は、先立った後村上天皇を偲んで歌われた長慶天皇との贈答歌が特に秀逸であると評する。

嘉喜門院集

『嘉喜門院集』は、宗良親王が『新葉和歌集』を撰集する際の資料として、天授 (日本)3年(1377年)7月13日 (旧暦)に嘉喜門院がこれまでに詠んだ和歌の記録を求められたのに応じて、まとめられた私家集である。
阿野実為が清書をし、宗良親王に提出された。

全体の構成は、大きく3つに分かれる。
最初の部分は「袖書」と呼ばれ、この歌集の成立事情と、嘉喜門院と阿野実為の贈答歌各2首、そして、「内の御方」(長慶天皇)の歌2首が掲載されている。
2つめの部分が本体で、全102首。
贈答歌が14組含まれるため、嘉喜門院自身の歌は88首、他人の歌が14首収録されている。
以上が宗良親王に提出された部分だと推定され、この後には宗良親王からの返書が収録されている。
上記の宗良親王の評はここに記載されている。
最期の部分は「詠三十首和歌」と呼ばれ、30首が掲載されている。
この30首は、嘉喜門院が手本とするために収集した他人作の歌ものと見られていたが、これらの歌も嘉喜門院作とする説が有力となっている。

子女

諸系図で嘉喜門院の子とされることがあるのは、長慶天皇(寛成親王)と後亀山天皇(熙成親王)の他、泰成親王と良子内親王がいる。

嘉喜門院が天皇の生母であるというのは、『新葉和歌集』と『嘉喜門院集』に収録された和歌と詞書の解釈によるところが大きい。
江戸時代から明治時代にかけて、これらの歌集に登場する「内の御方」(今上天皇)は後亀山天皇であるとの見解が支配的であったため、この頃に書かれた系図や歴史書は、後亀山天皇の生母を嘉喜門院としていた。
他方、長慶天皇と後亀山天皇が同母兄弟なのかに関しては、それを裏付ける確証がないことから否定的な見方が有力であった中で、塙保己一のように早くから同母兄弟であることを主張する人もあった(ただし、塙は後亀山天皇を兄、長慶天皇を弟と主張していた)。
その後、長慶天皇の即位の有無をめぐる研究が進む中で、両歌集の今上天皇は後亀山天皇ではなく、長慶天皇であるとの説が有力化し、長慶天皇の生母を嘉喜門院とする系図や歴史書が増加した。
そして、後亀山天皇の生母を嘉喜門院とするこれまでの資料と、新たに長慶天皇の生母を嘉喜門院とする説とが合成されて、両人とも嘉喜門院の子とされることが一般化している。
ただし、後亀山天皇が嘉喜門院の子であるか否かに関する確証は無いのが現状である。

[English Translation]