小野岑守 (ONO no Minemori)

小野岑守(おののみねもり、宝亀9年(778年) - 天長7年(830年4月19日 (旧暦)))は、平安時代初期の貴族・文人。
征夷副将軍小野永見の三男。
従四位上・参議。

生涯

陸奥守、内蔵頭、皇后宮大夫、参議、大宰大弐を歴任した。
弘仁元年(810年)に嵯峨天皇が即位した際には侍読となるなど漢詩に優れ、同5年(814年)に成立した勅撰漢詩集である『凌雲集』の編纂に携わる。
さらに、『日本後紀』『内裏式』の編纂に関わった。
『文華秀麗集』『経国集』にも漢詩が収められているが、唐風に一字姓として「野 岑守」と表記した。

大宰大弐として大宰府に赴任中の弘仁14年(823年)公営田の導入を建議。
翌、天長元年(824年)には多禰国を大隅国に編入した。
同時期に、九州各地より大宰府を訪れる旅人のための宿舎として続命院を建設した。
同時代を生きた空海とは、漢詩を通じた親交があったとされる。

[English Translation]